「時空間の認識」を純粋に

時空間の認識」の差が、思考の差、発想の違いとなる。
私の時間軸は10万年の波長、空間は地殻変動列島日本となる。それは地球物理学が原点にあるから。10万年は高レベル廃棄物処理の時間スケール、あのオンカロ、フィンランドが念頭にある。空間は地理的には日本、すなわち地殻変動列島に住むしかない我々だから。

 しかし一般的に、政官財の波長は自分の任期、せいぜい5年程度となるのかもしれないが、今では大学ですら同じ波長の時間軸、研究プロジェクト、産学連携など、長い時間波長ではやっていけない。東大の南原繁、矢内原忠雄先生の頃が懐かしい。
 だがこの短い時間波長では「国民」が抜け落ちる。温暖化危機論、非在来型エネルギー論、原発推進などは利害関係、利権構造に支配される。この哲学、思想の無さは国際力学において「Japan Nothing」と揶揄されることになる。

 では時間軸問題をどうするか、難問だが原理原則はシンプル、せめて大学、科学者、学会が純粋思考すればよい、これは今の日本では無い物ねだりかもしれないが、私は若者、心の若い年配者も、に期待しています。
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# by tikyuu_2006 | 2015-01-18 11:43 | これからの日本

「水素社会」の到来と言うが、水素はエネルギー源ではない

1)朝日新聞が2008年8月29日社説に「新型エコカー 高い目標を技術が追う」とあった。 結論から言う、これは誤り、水素はエネルギー源ではないからである。
・・・見た目は普通の乗用車と変わらないが、燃料は水素だ。空気中の酸素と反応させ、燃料電池で発電しモーターで走る。反応で出るのは水だけ。温暖化をもたらす二酸化炭素が出ない。・・・・とある。

これが全くの間違い、水素資源など地球にはない、何かの「一次エネルギー」から作らねばならないからである。 
だから水素のようなものを「二次エネルギー」という。 その水素を生産、使う課程で化石燃料が大量に使われる、それは半端ではない。 記事にはさすがに、・・・究極のエコカーと言われるが課題はなお大きい。・・・まず価格だ。ざっと一億円はする・・・10年以内に一千万円を切るのが目標という。・・・・
ホンダのFCXクラリティーとか言う車のこと、米カリフォルニア州でこの夏デビューしたそうだが、これは普及しないのでは、EPRで考えればとうてい可能性は無いからである。「わかったつもり」の「わからない識者」が多すぎる、困ったことである。 

「何でも温暖化に結びつける時代」はもう終わった、車よりも「エネルギー・食料の欠乏」を心配すべきでは。同日の朝日新聞には「トヨタ、70万台下方修正」とあった。09年の世界販売計画を当初の1040万台から970万台に減らしたそうだが、流石に世界のトヨタ、先が見えている、「石油ピーク」も分かっておられる。 トヨタでの拙講演(2008年7月25日)ご参考、

2)そのトヨタが、最近(2015年)、水素社会、FCVつまり水素燃料電池車を喧伝している。
http://mainichi.jp/opinion/news/20150113k0000m070109000c.html
いくら日本を代表する国際企業のトヨタであっても、エネルギーについての理解が間違っていれば、正すべきです。もう脱車社会、「地球は有限、資源は質が全て」だから、拙HPご参考。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/

本来、「家電」の見本市なのに、ここ数年は自動車関連の展示が目立つ「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」。その背景には、ネット通信機能など急拡大したモバイルを活用して消費者のニーズをとりこみたい自動車産業の思惑がある。そしてクルマに活路を見いだそうとしているのは、急成長にブレーキがかかろうとしているスマートフォン(スマホ)市場で活躍した企業も同じようだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81755890Z00C15A1000000/
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# by tikyuu_2006 | 2015-01-13 09:57 | エネルギー、環境

「自然は有限 脱浪費を」、毎日新聞、特集ワイド

原発再開に懸命な政府、財界だが、あるメディアは原発増設とまで高揚する。だがそれは完全な間違い錯覚です。原子力は無限でも、地震国日本では安全でもない、放射性廃棄物の処理は10万年の問題だが、そんな場所は地殻変動列島日本には無い。フィンランドのオンカロは18億年もの安定した大陸の地塊にある、そこで改めて大きな私の新聞記事ご覧を、
「原発の呪縛 日本よ!」 -この国はどこえ行こうとしているのか-:毎日新聞2012年8月24日
「自然は有限 脱浪費を」 地球物理学者 石井吉徳
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取材を終えたうだるように暑い日。東京に高層ビルが突き刺さるようにのびるさまを見上げながら、石井さんの言葉をかみしめた。 「内野雅一」
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# by tikyuu_2006 | 2014-12-27 21:26 | 新しい文明の構想

STAP細胞は無かった

日本科学界は学問の原点に戻るべきでは
 理研、小保方氏のSTAP細胞だが、最終的に再実験不成功に終わったようである、まだ若い彼女の未熟さは目立つが、研究指導に当たった理化学研究所の体質、組織的にも欠陥があったようである。それは研究者は一人で研究を行っているのではないからで、組織としての力量、見識が問われるからである。
 
かって国立大学そして国研の指導的な立場にいた者として、伝統ある理研の現状は、その研究組織としてかなり根源的な原点に問題があると思わざるを得ない。当然理研トップの指導責任、見識は問われる。責任はノーベル賞受賞者の野依博士にもある言うべきであろう。
 
しかし問題はそこで終わらない、日本の学問、科学の根幹的体質に関わると思えるのである。御用学者が跋扈すると揶揄される最近の大学、その理念の無さ視野狭窄もこの際、原点から問われべきであろう。
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# by tikyuu_2006 | 2014-12-27 09:16

ピケティ著「21世紀の資本論」とは

世界で話題のピケティ著「21世紀の資本論」とは
WSJのクールな紹介記事ご参照、下記に引用します、

http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304357604579585450142850362
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フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の著書「Capital in the 21st Century(21世紀の資本論)」が米国で大論争を巻き起こしている。米経済学者のポール・クルーグマン氏はニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌で同書を評して、「世襲財産の力の拡大を抑制」したいと願う人々への「召集」と書いた。保守派の論客はピケティ氏の「ソフトマルクス主義」(こう言ったのはアメリカン・エンタープライズ研究所のジェームズ・ペトクーカス氏だ)やタイトルであからさまにマルクスの「資本論」に触れていることにやきもきしている。

 データが詰まった600ページを超える著作の中で、ピケティ氏は資産の収益率が長期的には経済全体の成長率より高いため、資本主義は不平等の悪循環を生むと主張している。ピケティ氏によると、不平等の拡大によって現代社会が新たな封建的な体制に変貌する恐れがあるという。彼は(所得にではなく)資産に対して世界的に税を課すことでこのシナリオを回避したいと考えている。

 ピケティ氏は一体どれほど急進的なのだろうか。実のところ、それほどでもない。アクセントや博識、ボタンを首元までとめないシャツの着こなし、ふさふさした黒い髪。ピケティ氏はどこから見てもフランスの知識人そのものだが、フランスの知識人は誰もが急進的というわけではない。フランスにはまだ正真正銘、本物のマルクス主義者がいる。穏やかに話すピケティ氏をそれと間違えることはない。だからこそピケティ氏は米国にもたらしたほどの衝撃をフランス国内の世論に与えてはいないのだろう。

 ピケティ氏はフランスでは名の通った知識人だ。左派系の日刊紙リベラシオンでコラムを執筆し、2007年のフランス大統領選では社会党のロワイヤル候補に最高経済顧問として仕えた。だが、彼の著作はパリではベストセラーにはならなかった。実は「Capital in the 21st Century」が記事に取り上げられるときは大抵、その内容ではなく、米国で予想外の成功を収めたことが話題になる。

 これほど受け止め方が異なる理由は単純だ。人が議論し、本を買うのは論争があるからだ。資本主義が不平等の拡大を作り出し、社会秩序を根元からむしばむ、という考え方は米国内で議論の的になったが、フランスでは全く逆で、福音書なのである。まさに、預言者は自分の故郷では尊敬されないものだ。

 ピケティ氏がフランスでそれほど影響力を持たないもう1つの理由はおそらく、彼が真剣な思想家であることだ。フランスは知識人を愛すると言われているが、フランスは知識人を愛することに陶酔していると言ったほうが正確かもしれない。実際、フランスの著名知識人は自分がほぼ何も知らないことについて意見を述べる軽量級ばかりだ。

 フランスでは、多くの有名なエコノミストが本を売り、テレビの討論番組に出演している。そうした人たちの大多数に共通するのは、経済学の学位を持っていないことや、査読のある経済学の学術誌に論文を発表したことがないという点である。私自身もエコノミストではないが、フランスのニュース番組ではエコノミストと紹介された。ピケティ氏は学術的な研究を行う極めて優れた経済学者である。だが、フランスではそのことがエコノミストとしての信頼性を損ねている。

 ピケティ氏の見解が米国では政治的に左寄りと受け止められているのに対して、フランスでは保守派として受け取られることもあることを考えると、米国とフランスの違いを思わずにいられない。彼は前回の社会党政権が採用した、世界的に悪名高き週35時間労働制に反対し、また給与税の削減も訴えた。基本的にピケティ氏は、政策論争に登場する人物として最もなじみのあるタイプといえる。つまり、市場原理に多くの長所を見いだしているものの、市場の行き過ぎを部分的にならすために政府による再配分を支持する、新自由主義の経済学者のままなのである。

 パリの関係者の間では、ピケティ氏が社会党出身のオランド大統領を浅はかな日和見主義者だとして軽蔑していると言われている。ピケティ氏の元パートナーであるフェリペティ文化相と大統領が緊張関係にあると報じられており、そのせいでピケティ氏が大統領に敵意を抱いているといううわさもある。フランス社会党という複雑怪奇な世界では、人間関係とセックスは常に切り離せないようだ。

 フランスに存在する少数だが尊敬すべき経済学者の中には、ピケティ氏の生い立ちを知れば、彼のことがよくわかるという人もいる。ピケティ氏は労働階級の家庭で育った。両親は急進的なトロツキー主義政党「労働者の闘争」で活動した。16歳で公立高校を卒業したピケティ氏は狭き門である高等教育機関「グランゼコール」の中でも最も入学が難しい高等師範学校の入学許可を得た。22歳で博士号を取得し、フランス経済学会から年間最優秀論文賞を受賞した。論文のテーマは富の再配分だった。

 要するに、ピケティ氏はそれほど珍しい存在なのだ。フランスのエリート主義の純然たる産物であり、公立の学校を経て苦労してエリート校に進み、一流の官僚(ピケティ氏は国営のパリ経済学校の共同創設者で学長も務めた)になった労働者階級の子どもである。このモデルはフランスの戦後の復活を支えたが、今では破綻している。

 おそらく、ピケティ氏はエリートの道を登りながら、周りの人々の両親や祖父母(多くの場合、祖父母の4代前の先祖も)が自分の家族よりもはるかに恵まれていたことに気づかずにはいられなかっただろう。だからこそ彼は、自身の左翼的な文化背景から学んだことと経済学のモデルや実証的な研究結果の中に発見したものを結びつける道に進んだ。

 ピケティ氏には正しい点もあれば、誤っている点もある。だが、彼の世界観は急進的とは言えない。不平等に心を痛めていて、富の偏在という問題にこのまま手を付けなければ社会秩序が損なわれるかもしれないと懸念する右派の人間にも受け入れられるものだ。ピケティ氏の革命的と言われるアイデアをめぐって米国では不満が噴出したが、ピケティ氏の功績の中でいつまでも残るのはその保守的な洞察かもしれない。
(筆者のPASCAL-EMMANUEL GOBRY氏はパリを拠点に活動する作家で起業家)

私はアマゾンから[An Excutive Summary of Capital in the 21th Century]を取り寄せて読んだが、つまらなかった。 有限地球観も石油減耗論も無い、エコノミストによる経済書、700ページもの当たり前しか語られない長編でしかなかった。
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# by tikyuu_2006 | 2014-11-04 09:52

太陽光発電買い取り制度、自然エネルギーをどう考える

太陽光発電買い取り制度、失敗は約束されていたのか、自然エネルギーの今後、戦略とは

メディアが報道
1)Wall Street Journal日本語版 2013年10月17日
【社説】新たな暗黒大陸─再生可能エネルギー政策で失敗する欧州
オバマ政権が米国を再生可能エネルギーの夢の境地へと向かわせる前に、欧州ではどんな様子になっているのか調査したほうがいいかもしれない。二酸化炭素の排出を伴うエネルギー源を風力や太陽光などと置き換えるという夢の実現に、欧州大陸は米国よりはるかに近づいている。そして、その夢は悪夢の様相を呈し始めている。

彼らは本質的に、電力を作ることなく、収入がほしいのだ。

 すべての根っこにあるのは、欧州大陸のいわゆる再生可能エネルギー固定価格買い取り制度(FIT)だ。これは1990年にドイツで始まった。固定価格買い取り制度は太陽光や風力による発電設備で作られた電気を一定価格で買い取ることを電力会社に義務づける制度で、買い取り価格は通常、市場価格を上回る。また他の方法で作り出された電力より優先され、風力や太陽光で発電された電気は真っ先に買い取らなければならない。

 電力会社にこうした電気を買い取らせる──消費者には自腹を切らせる──ことによって、ドイツは総容量に対する再生可能エネルギーの比率を25%まで引き上げた。ドイツはこの割合を2020年までに35%、50年までには80%にしたい意向だ。ドイツほど野心的な国は欧州には他にない。しかし、欧州連合(EU)が大陸全体で目標とする再生可能エネルギーの割合もまた、20年までに20%にすることだ。
 これらの風力・太陽光発電への助成金はこの4年間で欧州のエネルギーコストを消費者に対しては17%、電力産業には21%それぞれ上昇させた。しかし、これよりもっと脅威なのは、こういった指令が電力企業にもたらしている大混乱だ。特に石炭による火力発電や原子力発電といった旧式の発電所は伝統的に「ベースロード(基底負荷)」と呼ばれる電力を供給してきた。冷蔵庫や信号機など、現代の経済活動に年中必要な電力のことだ。これは消費者がまず使う電気だった。欧州が再生可能エネルギーに熱狂するまでは。

 問題は、ある特定の瞬間に再生可能エネルギーがどれだけ生産可能なのか誰にもわからないことだ。太陽電池パネルを屋根に搭載したガソリン車を持っていると想像してほしい。必要なときに太陽エネルギーを使えるのではなく、それが供給可能なときにはいつでもエンジン出力に追加できるようになっている。
 つまり、高速道路を時速60マイル(約97キロ)で走行している際に太陽が顔を出すと、アクセルから足を離さない限り、突然、車が80マイルで走りだすことになる。では、こういったエネルギーで経済全体の運営を試みていると想像してほしい。ただし、天候が変わる度にエンジンのスロットルを調整するのに何時間も何日もかかることを除いてだが。

 電力会社は、かつては予測可能だった電力需要が、天候と全く同様に予測不可能な需要に取って代わられたことを経験してきた。天候が悪ければ、照明を維持するために発電量を増やす必要がある。しかし、再生可能エネルギーの優先順位が高いため、先を越される可能性に留意しなければならない。電力会社は依然として、高い固定費と資本ニーズを抱えている。だが、再生可能エネルギーの特権的な立場のせいで、電力需要は風とともに増えたり減ったりするのだ。
 英エコノミスト誌によると、これらすべてが成長の足かせとなっており、この5年間で欧州の電力会社の時価総額を55%縮小させた。方針の変更を先週発表した電力会社のトップは、国が後見人になっているため、事業を続けることに満足しているかもしれない。風力や太陽光発電が不足したときに、その不足を補うために──納税者の負担で──待機するという立場だ。
 しかし、これでは消費者と納税者は割に合わない。FITと再生可能エネルギーの強制的な買い取りを止めれば、エネルギー価格は下がり、欧州の産業が立ち直る一助にさえなるかもしれない。それが国家財政に1セントの負担もかけない成長志向の改革になろう。

2)毎日新聞 2014年10月12日
大規模太陽光発電:参入凍結 買い取り価格見直し 経産省「地方集中で送電網限界」
 再生可能エネルギー固定価格買い取り制度(FIT)を巡り、九州電力など電力5社が再生エネの新規受け入れを停止した問題で、経済産業省が大規模な太陽光発電設備の新規認定を一時停止する検討を始めた。経産省の想定以上に太陽光発電が地方に集中したことで、再生エネの拡大が送配電設備の能力の限界に達したためだ。経産省は太陽光の電力拡大を抑制し、風力や地熱など再生エネ全体のバランスを図るため太陽光の買い取り価格引き下げなどの制度見直しを急ぐ。【中井正裕】

 経産省は2011年のFIT制度の策定段階で、太陽光発電の出力が10年代半ばに1000万キロワットを超えると見込んでいた。ところが、12年7月の制度開始から今年6月までの約2年間に導入された太陽光発電は、すでに1000万キロワットを突破。発電開始前を含めFIT認定を受けた太陽光は6896万キロワットと想定をはるかに上回った。

 また、FIT導入以前に主流だった住宅用太陽光発電の拡大を想定していたが、新規導入は10キロワット未満の住宅用が240万キロワットにとどまる一方、住宅用以外が848万キロワットと急拡大。日照時間が長く、土地代が比較的安価な九州など地方に集中し、計画中の太陽光発電の出力が地域の全需要を上回る事態になった。
 想定通りに住宅用が普及すれば、住宅の多い首都圏や関西圏など都市部で再生エネ受け入れ余地があった。ところが、地方に集中したことで、地方から都市への送電網を増強する必要に迫られた。送配電網の増強は年単位の期間と多額の費用がかかり、費用負担方法などの仕組みも未整備だ。

 大規模太陽光が急増したのは、買い取り価格が高水準だったことも背景にある。FIT制度は再生エネ普及を軌道に乗せるため、制度開始から3年間は買い取り価格を高く設定している。再生エネの急拡大自体は狙い通りだが、大規模太陽光の価格は「政府の計算より事業者がもうかる価格設定だ」(電力業界)との指摘もあり、経産省は価格算定方法の見直しを迫られている。

3)週刊東洋経済 - 東洋経済オンライン 2014年10月13日
 「電力会社にも、国にも、裏切られたような気持ちだ」
FIT法では電気の円滑な供給確保に支障の生ずるおそれがあれば、受け入れを拒める。再エネに冷や水浴びせる電力会社の契約中断 太陽光発電の買い取りを止めた九州電力。 
九州電力が10月1日に福岡県で開いた事業者向け説明会。そこでは詰めかけた数百人の再生可能エネルギー事業者から厳しい声が相次いだ。九電による電力買い取りを当て込んで太陽光パネルに投資した個人事業主は、「投資が無駄になったらどうしようかと毎日不安。慰謝料は考えてくれるのか」と訴えた。
http://toyokeizai.net/articles/-/50377

4)日本経済新聞-編集委員 滝順一 2014/10/13
難しい問題だが、いずれ再エネに頼らざるを得なくなる。電力5社、再生エネ買い取りを制限 打開の道は、
九州、四国など電力5社が、再生可能エネルギーの受け入れを制限(保留)すると発表した。発電量をすべてを買いとると供給が需要を上回ってバランスが崩れ、停電などの恐れが出るためだという。買い取りを前提に太陽光発電所などの建設を進めてきた事業者や自治体ははしごを外された形で憤まんやるかたない。政府は年内にも対応策を打ち出す考えだが、この問題は原子力発電所の再稼働ともからむから、やっかいだ。

■先日、買い取り保留の騒ぎが起きる前だが、ドイツの送電会社の担当者から話を聞く機会があった。発送電分離をしたドイツには4つの送電会社がある。そのうちの1社、50ヘルツ送電会社はドイツ国内の風力発電所の40%が、供給域内にある。
 同社のクラウス・フォンセンブッシュ・エネルギー経済局長は「再生可能エネの拡大が送電網の拡充よりスピードが速いことが大きな課題だ」と話していた。日本と同じだ。ドイツでは再生可能エネは送電会社が買い取り、費用は託送料金(送電網の利用料金)に上乗せする形で最終的には消費者に転嫁されている。

 変動する供給量に対応して需給をマッチさせるため、送電会社が水力や火力発電所をもつ事業者に対し調整用の発電を日々要請しなければならない。かつては送電網の状態を監視するだけでよかったが、供給力を「日常的に調整する複雑な業務が送電会社に課せられている」と言う。また2050年の国内の電源立地や構成のあり方を決め、必要な送電線の拡充を進めている。 再生エネの今後の導入見通しについては、電源構成の40%までなら、国外との電力のやりとりがない厳しいシナリオを仮定しても、蓄電池の大量設置がなしでも達成可能だとしていた。

 地理的な条件や既存の送電網の様子が異なる日本とドイツを単純に比較することはできない。ただ既存のシステム活用と長期的な計画推進に着実に取り組み再生エネ拡大を目指す姿勢は、参考になるのではないか。http://s.nikkei.com/1qOtYAS

5)朝日新聞デジタル 2014年10月18日
(けいざい新話)再生エネにかける:4 固定買い取り制には頼らない見解も、
 盛岡市にほど近い、人口3万3千人の岩手県紫波町。その中心部ではいま、仕事場と住居を集めた「コンパクトシティー」をめざした再開発が進む。7月末、地元の間伐材でつくった木材チップを燃やした熱を、まち全体に供給する木質バイオマス施設が動き出した。 
 チョコレート色の建物内のボイラーで約80度のお湯を沸かし、地区全体に張り巡らせた配管を通じて、町役場や保育園、新しく建った57軒の住宅にお湯と暖房を供給する。「吸収式冷凍機」でつくられた冷熱で、冷房にも使用できる。
 「熱」は太陽光や風力とは違い、再生可能エネルギーを電力会社が高値で買い取る固定価格買い取り制度(FIT)の対象ではない。利益をどう確保しながら運営するかが難しかったのだが、省エネや再生エネのコンサルタント会社「サステナジー」(東京)のトップ、山口勝洋(49)はこれを乗り越えた。

 約5億円の事業費は信金から借りた。毎年の運営費や信金への返済は、お湯などを供給する施設から受け取る料金や環境省の補助金などで賄う。燃料となる木質チップを地元から買うなどして、地域振興にもつながる仕組みを整えた。
 FITを活用した太陽光発電なども手がける一方で、熱供給もあえて進めたのはなぜなのか。山口は「エネルギー問題を解決するには、熱も活用し、エネルギー消費量自体を減らすことも必要だ」と、先を読む。
 大学時代から環境問題に関心を抱いてきた山口は、まずは外資系の経営コンサルタント会社で働いた。独立後、最初に手がけた事業が、2004年に長野県飯田市で始めた「おひさまエネルギーファンド」。再生エネに投資する市民ファンドのモデルと言われるものだ。
 市民から募った約2億円と同じだけの補助金をかき集め、投資の元手を2倍にした。これで、飯田市の公共施設の屋根に太陽光パネルを置いたり、美術館のエアコンを省エネ型に組み替えたりした。浮いた電気代分を飯田市などから継続的に払ってもらい、FITがない時期でも、一定の利益が出る仕組みを作り上げた。
 「うちもメガソーラーをもっと手がけ、安定的な収入源を持つべきではないか」。FITが始まったころ、山口はある社員からそんな意見を受けた。だが「すでにあるビジネスモデルだけに頼るのではなく、まだまだ事業開発を進めるべき分野がある」と説得した。

 経済産業省は、急増した太陽光の申請を抑える方向でFITの見直しに着手したほか、買い取り価格も切り下げる考えを示し、事業者を混乱させている。山口は言う。「FITは便利だが、それ以前から再生エネや省エネ事業が経済的に成り立つような工夫を見つけてきた。これからも、そんな方法を見つけていく」=敬称略(おわり)(藤崎麻里)

岩手県紫波町で開かれたシンポジウムで、自然エネルギーについて話す山口勝洋さんは、もったいない学会の仲間の一人です。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11407622.html
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# by tikyuu_2006 | 2014-10-13 11:13 | エネルギー、環境

終焉する石油文明、日本列島で生きる民族の知恵

「終焉する石油文明、日本列島で生きる民族の知恵」
-脱経済成長、量より質、自然と共存、地方分散の低エネルギ-・脱浪費-
(2014/10/4 記)

先ず理解すべき「地球は有限、資源は質が全て」、「日本列島」とは
有限地球観、人類文明の一大変換期、自然の恵みで生きる、エネルギー・水・食料
石油ピークは人類史の変革、エネルギー基本政策の見直し、原発は止めるしかない
崩壊する資本主義、金融緩和の生んだ超格差と貧困、世界各地の紛争
政産官学の癒着、企業献金と政党助成金の矛盾、民の心の萎縮と無気力
いずれ来る関東震災、東京首都一極集中は国家の危機、備えは地方分権・分散
日本列島はユーラシア、北アメリカ、フィリピン海、太平洋の4プレートが交叉する大変動帯
東日本と西日本は別のプレート、その間がフォッサマグナという一大地溝帯、噴火した御嶽山はその西縁に、
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権力に「言葉を奪われない」、「空気」に支配されない
論理的議論の萎縮、硬直する国家制度と風土、
思想的に徹底したものをもたない、欧米依存しない文化、史観、自己の確立、
論理的な分化と統合、グランド・デザイン、総合知と思考の戦略化
豊かな構想力、ダイナミックな思想、戦略、緻密な戦術分化
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求められる「組織の自己革新能力と創造」
自立、自然と共存、自然エネルギー、地産地消
真の適応能力、官僚組織は異端者を嫌う、既存知を疑う知識創造、
わかったつもりは無知に劣る、イノベーション:異端の知性を取り込む総合知、教養
もう手本はない自分で考える、当たり前の学習、棄却と自己否定の科学・技術
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「歪んだ日本の科学・技術研究」、巨額な国費とセット、産官学政の利権構造
原発、水素と温暖化危機論の共存、CCS、排出権取引より低エネルギー、脱浪費
環境問題としての温暖化危機論の非科学性、いま地球は寒冷化している、脱IPCC信仰
エネルギーはその質、EPR=Energy Profit Ratio:エネルギー収支比で判断すること、
これはEROI=Energy Return on Investment ともいう

次図は地球物理学者、元通産省地質調査所長、名古屋大学小川克郎名誉教授による研究成果、温暖化懐疑論と片付けないこと
http://oilpeak.exblog.jp/18328015
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シェール革命はバブルだったのか、アメリカBakkenの例
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下記ご参考、国土交通省北陸地方整備局ホームページより、
http://www.hrr.mlit.go.jp/matumoto/contents/sub/kantan/fusigebook/fusigi4.htm
フォッサ・マグナはラテン語で[大きい割れ目」という意味である。明治の初めに日本へやってきたドイツの地質学者エドモント・ナウマン(1854-1927)が最初にこれを発見した。
 日本列島を横断する大断層線であり、その西の縁は糸魚川(新潟県)から静岡にかけて走り、糸魚川・静岡構造線ともよばれる。西の縁の西には日本アルプスがそびえ立ち、この縁上の諏訪湖から西南へ向かう、日本のもう一つの大断層線である中央構造線もまたナウマンが発見したものである。フォッサ・マグナの東の縁は関東山地であり、したがってフォッサ・マグナの幅は数10kmである。フォッサ・マグナには約10kmの厚さの堆積物が堆積している。
 フォッサ・マグナの西の縁は糸魚川から姫川をさかのぼり、青木湖、中綱湖、木崎湖のいわゆる仁科三湖を経て松本盆地を通り、諏訪湖の南から釜無川に沿って南下し、甲府盆地の西の端から富士川を経て太平洋へ達している。飛騨山脈を赤石山脈の東の縁を走っているといってもよい。ここに出てきた湖や盆地はいずれも、フォッサ・マグナが沈降によって造られた地形であることを示している。その沈降が隆起に変わり、そこに火山活動が加わって現在のフォッサ・マグナができたのである。フォッサ・マグナに関係した火山としては、焼山・妙高山・黒姫山・浅間山・霧ヶ峰・蓼科山・八ヶ岳・富士山・愛鷹山・箱根山・天城山などがある。
そして今回、フォッサマグナ西縁で御嶽山が噴火。

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# by tikyuu_2006 | 2014-10-04 08:03 | 新しい文明の構想

今年亡くなった「マヤ・アンジェロウの名言」

Maya Angelou (1928~2014):マヤ・アンジェロウの言葉

アメリカの偉大な詩人・作家、黒人女性としてマイノリティーの視点から多くの有名な詩や自伝的小説を著したアメリカの作家、アメリカでは20世紀で最も尊敬される人間の一人とのこと。黒人差別の厳しい南部の貧困家庭に生まれ、小さい頃に義父から虐待を受けたり、17歳でシングルマザーになり生活のため売春婦になるなど、壮絶な人生を送ってきたのですが、そのような逆境を乗り越えて偉大な人物になった。
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学んだときは教えなさい。手に入れたときは与えなさい。
When you learn, teach, when you get, give.

気に入らないことがあるならば、それを変えなさい。
変えることができないならば、それに対するあなたの見方を変えなさい。
文句は言わぬように。
If you don’t like something, change it.
If you can’t change it, change your attitude.
Don’t complain.

胸の内に語られない物語を抱え込むほどの苦悩はない。
There is no greater agony than bearing an untold story inside you.

最高を望みながら、最悪に備える。
そしてその中間にある物事に驚かぬよう。
Hoping for the best, prepared for the worst,
and unsurprised by anything in between.

ヘイト。それは世界でさまざまな問題を引き起こしてきたが、問題を解決したことは一度たりともない。
Hate, it has caused a lot of problems in the world, but has not solved one yet.

音楽は私の隠れ家でした。
音符の狭間に潜り込み、孤独に背中を丸めます。
Music was my refuge.
I could crawl into the space between the notes and curl my back to loneliness.

キャッチャーミットを両手にはめたまま生きるべきではない。
投げ返すことも必要だから。
You shouldn’t go through life with a catcher’s mitt on both hands;
you need to be able to throw something back.

勇気は最も大切な美徳です。
もし勇気がなければ、人は他の美徳を堅実に実践することができません。
Courage is the most important of all the virtues
because without courage, you can’t practice any other virtue consistently.

みんなはあなたが言ったことを忘れてしまう。
あなたがしたことを忘れてしまう。
だけどあなたに対して抱いた感情を忘れることはないでしょう。
People will forget what you said,
people will forget what you did,
but people will never forget how you made them feel.

自分のことを愛さないくせに、他人に「愛してるよ」などと口にする人間は信用しないこと。
アフリカにはこんな諺があります:
「裸の人間が、この服をどうぞ、と言ってきたときは注意せよ」
I do not trust people who don’t love themselves and yet tell me, ‘I love you.’
There is an African saying which is:
Be careful when a naked person offers you a shirt.

もしあなたの中にたった一つの微笑みしか残っていないのなら、それを愛する人に与えなさい。
If you have only one smile in you give it to the people you love.

与える行為は心を解放します。
Giving liberates the soul of the giver.

もし私が自分自身にやさしくしなければ、一体他の誰が私にやさしくするというのでしょう?
If I am not good to myself, how can I expect anyone else to be good to me?

私は笑わない人間を信用しない。
I don’t trust anyone who doesn’t laugh.

雨降りのとき、荷物を失くしたとき、クリスマスツリーのライトが絡まったとき:
これら3つの状況にどう対処するかで、その人の性格が良くわかります。
You can tell a lot about a person by the way (s)he handles these three things:
a rainy day, lost luggage, and tangled Christmas tree lights.

好きなものだからこそ、人は本当に何かを成し遂げられる。
お金を目標にしてはなりません。
その代わりに愛することを追い求め、それを上手にこなしなさい。
そうすることで、周りはあなたから目がそらすことができなくなります。
You can only become truly accomplished at something you love.
Don’t make money your goal.
Instead pursue the things you love doing and then do them so well
that people can’t take their eyes off of you.

成長する人間は本当に少ない。ほとんどの人はただ歳を取るだけ。
車を持ち、クレジットカードを大切にし、結婚して家庭を持つ。人はこれを成長と呼びます。でもそれは歳を重ねているだけ。
Most people don’t grow up. Most people age.
They find parking spaces, honor their credit cards, get married, have children, and call that maturity. What that is, is aging.

人生は純粋な冒険です。
そのことに早く気がついた人ほど、人生を芸術のように大切にできるでしょう。
Life is pure adventure,
and the sooner we realize that, the quicker we will be able to treat life as art.

多様性の中には、美しさと力強さがある。
In diversity, there is beauty and there is strength.

我々は自問自答せねばなりません。鏡に映った自己に満足しているか?
そして我々は、自分の光に従って、自分の理解に従って、自分の勇気に従って、イエスかノーの答えを出さなければなりません。
そして飛び立つのです!
We have to confront ourselves. Do we like what we see in the mirror?
And, according to our light, according to our understanding, according to our courage, we have to say yea or nay.
- and rise!!

我々は、お互いを理解して、お互いの中に自分自身を見いだすことを学べます。
そして、人間は似ていない部分よりも似ている部分の方が多いということを認識することができます。
We can learn to see each other and see ourselves in each other
and recognize that human beings are more alike than we are unalike.

つらいことであっても歴史はやり直すことが出来ません。でも、勇気を持って向き合えば、それを繰り返すこともありません。
History, despite its wrenching pain, cannot be unlived, but if faced with courage, need not be lived again.

愛は限界を感じません。愛はハードルを飛び越え、フェンスを飛び越え、壁を突き破り、目的地までたどり着きます。希望に満ちて。
Love recognizes no barriers. It jumps hurdles, leaps fences, penetrates walls to arrive at its destination full of hope.

あなたが一度しか笑えないというのであれば、あなたの愛する人にその笑顔を与えなさい。
If you have only one smile in you give it to the people you love.

あなたがやらない限り、どうにもならない。
Nothing will work unless you do.

あなたが、あなた自身に与えることの出来る最大の贈り物の一つは、許すことです。全ての人を許してあげましょう。
It's one of the greatest gifts you can give yourself, to forgive.
Forgive everybody.

数多くの敗北に出くわすことになるかもしれません。それでも負けてはいけないのです。
We may encounter many defeats but we must not be defeated.

周りで起こる全ての出来事を自分の思い通りにすることは出来ないかもしれません。でも、そうした出来事に支配されないと決意することは可能です。
You may not control all the events that happen to you, but you can decide not to be reduced by them.

人生は人生を満喫する人を愛する。
Life loves the liver of it.

誰かの曇った心の虹になれるように努力しましょう。
Try to be a rainbow in someone's cloud.

私は間違いなく知っています。愛が私を救ったことを。そして私だけでなく全員を救うだけの愛がここにあるということも。
I know for sure that love saves me and that it is here to save us all.

愛は癒しの力があります。家族やたった一人の人間の愛でも、とても巨大で強力な社会がもたらした傷を癒すのに十分なのです。
The love of the family, the love of one person can heal. It heals the scars left by a larger society. A massive, powerful society.

私たち自身と向き合わなければいけません。鏡に映った自分の姿が好きですか?光と理解と勇気によって、「はい」もしく「いいえ」と答えなければいけません。そして立ち上がるのです!
We have to confront ourselves. Do we like what we see in the mirror?
And, according to our light, according to our understanding, according to our courage, we will have to say yea or nay-and rise!

私は発見した。何よりも与えることは、与える側の魂を解放するのだということを。
I have found that among its other benefits, giving liberates the soul of the giver.

沈まない太陽はないけれども、かならず再び日は昇り、夜明けをもたらす。
No sun outlasts its sunset but will rise again and bring the dawn.

https://www.youtube.com/watch?v=U1XTPve_PiI
buzzfeed.com/
http://goo.gl/Yz3CHZ
http://goo.gl/MNWpU6
http://curazy.com/archives/13161
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# by tikyuu_2006 | 2014-09-13 09:14

電力と震災、東北電力の場合

電力と震災、東北「復興」電力物語– 2014/2/20
町田 徹 (著)
(amazonの紹介文から引用、2014)

危機において企業の生死を分かつものは、長い間育まれた企業の文化である。
危機時の緊急マニュアルの精緻さではない。

震災から三年、気鋭のジャーナリストが取り組んだテーマは、同じ大震災に
直撃されながら、東京電力と東北電力はなぜ明暗を分けたのか、である。

人類史上最悪の事故を起こした東京電力の福島第一原子力発電所と同じ太平洋
岸にあり、より震源に近く、大きな揺れと高い津波に襲われながら、3基そろって
「冷温停止」を果たしたのが、東北電力の女川原子力発電所(宮城県)である。
そればかりか、津波で集落が崩壊した地元民数百人を敷地内に受け入れた。

著者は東北電力の取材を進めた結果、戦後の電力業界再編によって生まれた
東北電力の初代会長・白洲次郎と、初代社長・内ヶ崎贇五郎という「創業者」
2人の思想に辿りつく。
吉田茂の懐刀としてGHQやマッカーサーとの折衝に当たった白洲次郎は、
只見川の電源開発で抜群の政治力を発揮する一方で、ヘリコプターや無線機の
導入に尽力した。
そのDNAは、原発の安全対策に他の電力会社から「コストがかかりすぎ」と
揶揄されるほど手厚く手当てをしていた「孤高さ」「独自の哲学」としていまなお
企業文化に刻み込まれている。

内ヶ崎は宮城県黒川郡冨谷村(現富谷町)の出身で、戦前の国策会社である
日本発送電(日発)東北支店長、東北配電副社長、社長を歴任した電力のプロ。
内ヶ崎は合併会社である東北電力の社内の「和」を重視した企業文化確立に尽力した。
「地味で愚直」な安全対策にそのDNAが残されている。

この2人のほかにも、只見川開発を指揮した平井弥之助は副社長を退任したあと、
電力中央研究所理事兼技術研究所長時代に、東北電力の社内委員会メンバーとして
女川原発の敷地を海抜15メートルとする案を推進した。その正しさは2011年3月11日に
津波に耐えたことで実証された。

東京電力の福島第一原子力発電所の事故以降、電力会社への批判・疑念は厳しい。
原発再稼働への反対の意見も多い。では、電力会社はすべて悪なのだろうか。

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# by tikyuu_2006 | 2014-09-08 17:04 | これからの日本

Oil Supply Limits and the Continuing Financial Crisis

Oil Supply Limits and the Continuing Financial Crisis - Unofficial Version
By Gail Tverberg
Published in Energy Volume 37, Issue 1, January 2012, Pages 27-34. Official version available at Science Direct.
http://ourfiniteworld.com/oil-supply-limits-and-the-continuing-financial-crisis/

Abstract
Since 2005, (1) world oil supply has not increased, and (2) the world has undergone its most severe economic crisis since the Depression. In this paper, logical arguments and direct evidence are presented suggesting that a reduction in oil supply can be expected to reduce the ability of economies to use debt for leverage. The expected impact of reduced oil supply combined with this reduced leverage is similar to the actual impact of the 2008–2009 recession in OECD countries. If world oil supply should continue to remain generally flat, there appears to be a significant possibility that oil consumption in OECD countries will continue to decline, as emerging markets consume a greater share of the total oil that is available. If this should happen, based on these findings we can expect a continuing financial crisis similar to the 2008–2009 recession including significant debt defaults. The financial crisis may eventually worsen, to resemble a collapse situation as described by Joseph Tainter in The Collapse of Complex Societies (1990) or an adverse decline situation similar to adverse scenarios foreseen by Donella Meadows in Limits to Growth (1972).

Highlights
► Reduced oil consumption leads to lower economic growth and less capacity for debt.
► Lower capacity for debt leads to debt defaults, reduced credit, falling home prices.
► Oil supply limits appear to be a primary cause of the 2008–09 recession.
► If world oil supply remains level, more recession can be expected in OECD countries.
► Inadequate demand for high-priced oil is likely to cause much oil to be left in place.

http://ourfiniteworld.com/oil-supply-limits-and-the-continuing-financial-crisis/
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# by tikyuu_2006 | 2014-08-21 22:15 | 新しい文明の構想

「石油文明が終わる、3・11後、日本はどう備える」、信濃木崎夏期大学

21世紀は「地方の時代」と言われます。私はその典型のような「信濃木崎夏期大学」で、去る2012年8月1日集中講義をする機会がありました。
風光明媚な長野県安曇野、北アルプスを望む大町市、その木崎湖畔の学堂で大正6年から毎年、今年で96年目となる夏期大学、周辺の小中学校、教育委員会、大町市の方々が、ボランティアで運営される大学は素晴らしい、とてもさわやかな地域の活動でした。私もとても勉強になりました。下記です、ご参考に、
http://www6.ocn.ne.jp/~kitakyo/index.html
第96回 信濃木崎夏期大学・石井吉徳先生の講座
http://3rxt0.blog24.fc2.com/blog-entry-788.html
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この講座はその後、毎日新聞で大きく取り上げられました、2012年8月4日「特集ワイド」、「原発の呪縛、この国は何処へ行こうとしているのか」で、タイトルは「自然は有限、脱浪費を」と大見出し、内野雅一さんが逗子の自宅までインタビューして下さいました、 
http://oilpeak.web.fc2.com/pdf_files/mainichi012826.pdf

しかし信濃木崎夏期大学の次年度、2014年は東大、一丸節夫名誉教授による「環境三題:大気と海・生命・原子力発電」、つまりIPCCの地球温暖化危機説と原子力推進、核融合論のセットだった由。
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# by tikyuu_2006 | 2014-08-06 14:03 | これからの日本

「21世紀に生きる君達へ」

司馬遼太郎の遺言とされる「21世紀に生きる君達へ」
1996年2月12日没(享年72歳)

 私は、歴史小説を書いてきた。
 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
 歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」と答えることにしている。

 私には、幸い、この世にすばらしいたくさんの友人がいる。
 歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
 だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。
この楽しさは・‥もし君たちさえそう望むのなら・・・おすそ分けしてあげたいものである。

 ただ、さびしく思うことがある。
 私が持っていなくて、君たちが持っている大きなものがある。未来というものである。私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないにちがいない。

 君たちは、ちがう。
 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という街角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということになる。
 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。 ただ私に言えることがある。
それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。
 
 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
 人間は、・・・くり返すようだが・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
  この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
  ・・・・人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。21世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり私ども人間とは自然の一部にすぎない。というすなおな考えである。
 
 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わってゆくにちがいない。

 「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
 この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
 そうなれば、21世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

 さて、君たち自身のことである。
 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 ・・・自分に厳しく、相手にはやさしく、という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 21世紀においては、特にそのことが重要である。
 21世紀あっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりとした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は、助け合って生きているのである。
 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
 
 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもともとは、いたわりという感情である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
 
 「いたわり」
 「他人の痛みを感じること」
 「やさしさ」

 みな似たような言葉である。
 この3つの言葉は、もともと1つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練してそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。
 鎌倉の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

 もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして”たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きてゆくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。
 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

(平成元年「小学校国語六年下」大阪書籍)
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# by tikyuu_2006 | 2014-07-31 16:11 | 新しい文明の構想

気候と文明、人類の未来

気候と文明の歴史から、何を学ぶか
http://oilpeak.exblog.jp/22754410
生態学者A.ロトカは警告する、
「エネルギー豊富なとき栄えるはエネルギー最大消費の生物種、乏しいとき生存するは最小消費種のみ」

(1)気候と文明・気候と歴史
鈴木秀夫・山本武夫 (朝倉書店、絶版) 
古代の四大文明といわれるものが、いずれも今からおよそ5千年前に大河の流域に花開き、そしておよそ3千500年前に滅んだことは、よく知られています。ところで、なぜ4つなのか。大河といっても、たとえばなぜガンジス川ではなくインダス川なのか、なぜ揚子江ではなく黄河なのか。なぜアマゾン川ではなくナイル川なのか。そして、なぜそろって5千年前に興り、なぜいっせいに滅んだのか。滅亡の方は一応、民族大移動が原因とされていますが、ではなぜ至る所で同時に民族移動が起こったのか。これらの疑問に自信を持って答えられる人はほとんどいないでしょう。確かに中学や高校ではそこまでは教わりませんでした。こんな質問をする生徒は、間違いなく先生に嫌われるでしょうね。

大文明の興亡も、国家の盛衰も、それを担った人間とその社会の偉大さや愚かさを映し出すものであることは確かでしょう。しかし人間は、もしかしたら百年~千年単位の気候変動という、所詮人間にはどうすることもできない、というよりも、その社会の人間には予測することすらかなわない、自然の大きな営み、いや、気まぐれ(年平均気温にしてわずか±1~2度の変化!)に翻弄されているのか
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(2) 古代文明と気候大変動―人類の運命を変えた二万年史
Brian Fagan (2004) The Long Summer: How Climate Changed Civilization
ブライアン フェイガン (河出文庫) [文庫]

地球上の全ての生命は、誕生以来約 40 億年の激変する地球劇場のドラマとして展開してきた。主として地軸の傾きや太陽活動の変化といった抗しがたい天文学的要因によって、過去 50 万年の間にもほぼ4回の長い氷期と短い間氷期のサイクルを繰り返し、現在は第 4 間氷期のほぼ末期である。人類はこの氷河と共に現れた。途中ミニ氷河時代を挟んでいるが、過去 1万5000年の間氷期はそれでも最も気候的に安定した時代であった。とはいえ詳しく見ると実は干ばつと大洪水の繰り返しの歴史でもあった。

 著者は冒頭で、バグダッドの南で繁栄した古代都市ウルの干ばつによる突然の崩壊と現代まで続くミシシッピ川の洪水との闘いを述べて、問題の所在を示している。そして過去二万年の第4間氷期の気候大変動がメソポタミア、エジプト、マヤ・インカなどの古代文明に与えた影響をそれぞれの残された間接的気候記録に基づいて評価し、現代都市文明の脆弱性に警告を発している。

いずれの古代都市のケースでも、もともと移動性の狩猟採集民が地域の温暖湿潤化によって農業生産を始めて定着し、都市文明を発展させ人口の増大をひきおこす。やがて必ず襲う寒冷化によって生産能力が低下し、過剰に増大した人口を支えきれず、都市が滅亡するとの例外の無い筋書きである。例えば 9~13世紀の5世紀間ヨーロッパは安定した温暖な気候に恵まれたが、南北アメリカ大陸は深刻な干ばつに見舞われ、筋書き通り北部では戦争が起こり、南部ではマヤとインカの大文明が崩壊した。しかし南カリフォルニアのチュマシュ族だけはこの大干ばつの時代を生き抜いた。その智慧は生産性を高める競争ではなく、相互依存を促進することであって、大陸内部の狩猟採集民と海岸の漁民との交易による富の分配と住み分けであったとのことである。

 この生き残り戦略は動物の天敵から逃れる戦略に通ずるものがある。草食性のカメムシとその天敵の捕食性カメムシとの関係では、捕食者が増大したときに被食者は繁殖率を上昇させて個体群を守るのでなく、むしろ低下させて捕食者の餌を減じて生き残ろうとする。地球劇場の激変するドラマの進行は何人も止めることは出来ないが、二酸化炭素排出規制など、それによる災害を少なくさせることは可能である。中でも最大の課題は地球規模の人口問題である。歴史上の古代都市文明の崩壊は、いずれも人口増大によって繰り返された人災である
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# by tikyuu_2006 | 2014-07-30 21:05 | 新しい文明の構想

古代文明の盛衰と現代文明の展望

文明の勃興と衰亡、自然と人間はどう関係したか
石井吉徳 2014年7月26日
現代石油文明は衰退過程にある、石油生産が減退し非在来型はエネルギー・コスト高、これが「石油ピーク」。そこで安田喜憲の環境考古学、環境省の「平成7年版、環境白書」・文明盛衰の概説などから、「古代文明の勃興と衰退」を要覧し、「現代文明の未来」を展望する。

A)「魚食の文明・肉食の文明」、安田喜憲より
http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/handle/123456789/871
稲作漁撈文明、畑作牧畜文明、モンスーン・アジア、西アジア 
2007年5月21日 国際日本文化研究センター
……………………………………………………………………………………………..
食物の獲得は気候に左右される。アジアのモンスーン地域では、年間平均二〇〇〇ミリを超える降雨量は夏季に集中する。このような気候に適する穀物は米である。また豊かな水量は、河川での漁業を盛んにし、流域の人々にタンパク源を供給することを意味する。こうしてアジア・モンスーン地域の稲作漁撈民は、米と魚を食料とする生活様式を確立してきたのである。
 しかしこうした生活様式は、年間平均雨量が少なく、主に冬季に降雨が集中する西アジアでは小麦が主たる穀物となる。しかも河川での漁獲量は少なく、人々は羊、ヤギを飼育して、その肉をもってタンパク源とする畑作牧畜民のライフスタイルをとらざるをえない。
 
 イスラエルからメソポタミアにかけてのベルト地帯は、文明発祥の地とされている。小麦の栽培と牧畜により維持された畑作牧畜だが、今から一万年前ごろまでの深い森林は広範囲に破壊され五〇〇〇年前までに、ほとんどが消滅、主に家畜たちが森林を食い尽した。
 ギリシアも深い森林に覆われていた。デルフォイの神殿は建設当時森の中にあった。森林環境の破壊は、河川から海に流入する栄養素の枯渇でプランクトンの減少により魚は餌を奪われ、地中海は“死の海”と化した。
 一二世紀以後、文明の中心はヨーロッパに移動し、中世の土地開墾で多くの森林は急速に耕地化。一七世紀までにイングランド、ドイツ、スイスにおける森林破壊は七〇%以上に達し、今日、ヨーロッパの森林のほとんどは、一八世紀以後の植林事業による。
 一七世紀に生じた小氷河期の寒冷気候でペストが大流行、ヨーロッパは食糧危機、人々はアメリカへの移住、三〇年間にアメリカの森林の八〇%が失われた。一八四〇年代、ヨーロッパ人はニュージーランドに、一八八〇年から一九〇〇年のわずか二〇年にニュージーランドの森林の四〇%が破壊された。

 同じような状況は、畑作牧畜民が居住する中国北東部(満州平野)でも見られる。明朝の時代(一三六八~一六四四年)、森林に覆われていたが、清朝(一六四四~一九一二年)発足後、北東中国平原の急激な開発とともに森林は全く姿を消した。
 対し稲作漁撈民は慈悲の生ける物すべてに思いやりの心、善隣の気持ちを示してきた、稲作漁撈文明が将来の地球を救う。

B)『気候変動の文明史』、安田喜憲より
http://homepage2.nifty.com/motoyama/climate.htm
文明はなぜ勃興、没落したか
これまでは気候変動は千年、万年単位でゆっくりと変化すると思われてきた。だが近年の環境史の研究の進歩(年縞の発見など)により気候変動が急激に起こることがわかってきた。例えば1万5千年前だが、わずか50年で平均気温が10度近く上昇したのである。
 生活の糧であった森を荒廃させ、そこに急激な気候変動が追い討ちをかける。これが人類史において文明が忽然と消えた原因だった。気候変動は人類の人智を超えたものだから如何ともし難いが、森林破壊は止めることは出来るはずだ。

安田は、現代の地球の危機をイースター島をモデルに説明している。
 モアイ像が造られたのは8世紀頃、この頃は人々は海抜100メートル以下に村や農地を作り、森の破壊も海抜100メートルまでだったが、10世紀頃になると森の破壊も山頂付近、海抜400メートルにまで達する。人口が3000人に達し、人口増加のカーブと森林資源のカーブが交差する。つまりこの3000人こそが、イースター島で生存できる限界だったのである。しかしその後700年間にわたり、人口は増加し続け17世紀には6000~8000人、多いときには1万人に達したといわれている。

 イースター島の人々の生活を支えたのは、豊かな土壌による農業と漁業だった。だが森林の破壊によって土壌が浸食され、主食のバナナやヤムなどの収穫量が減少する。また木材の不足により、調理用の燃料もなくなり、漁に出るための船を作る木もなくなっていった。この食糧危機によって部族間の抗争が起こった。だが勝者は誰もいなかった。最後に人々は共食いをするまでになり、イースター島には今も「人食い洞窟」と呼ばれる洞窟が残っているという。こうしてイースター島の文明は17世紀に忽然と姿を消していったのである。このイースター島のモデルは現代文明にそのままあてはまる。

安田の「地球温暖化と現代文明の崩壊」から
古代文明は4200年前に衰亡した。なぜ遺跡は放棄されたのか。「畑作牧畜文明」は激しい自然破壊の結果、大地を荒野に変えて古代文明は崩壊した。それは現在のメソポタミア地方の、かつての「肥沃な三日月地帯」に立てば容易に理解できる。古代メソポタミア文明が繁栄した大地は、現在は塩の吹く荒野に変わっている。 
畑作牧畜型の古代文明は森を破壊し、豊かな平野を不毛の塩害で覆い、4200~4000年前と3800~3600年前の二回の気候の悪化のダブルパンチを受けて崩壊。

温潤地帯の長江文明を衰亡に導いたもの
 これに対し、温潤な長江文明地帯でも4200年前の気候悪化は、長江文明を衰亡に導いた。だが、長江文明を衰亡させた原因はそれだけではなかった。気候悪化にともなう北方からの畑作牧畜民の侵入が、つまり民族移動が文明衰亡を決定的にした。
 長江文明の大地は今日でもまだ豊かな穀倉地帯である。長江文明の崩壊をもたらしたのはメソポタミア文明を崩壊させた自然破壊ではなかった。
 4500年前を境として、長江文明の遺跡は突然爆発的に巨大化する。4500年前にメガロポリス時代に突入したとみなされる。ところがその巨大化した都市は、4000年前に忽然と姿を消す。長江流域のメガロポリスは4000年前に放棄される。
 
新たな世界観の誕生
人間が自然に屈服させられたかに見えた時、自然の法則を探求し、自然を機械とみなし、自然を支配してその上に人間の王国を作ろうという、近代文明思想が人々の共感をよんだ。
 フランシス・ベーコン(1561~1626年)は、知は力であり、自然の上に人間の王国を作ることを提唱した。ルネ・デカルト(1596~1650年)は、物質と精神の二元論に立脚し、機械論的自然観を展開した。自然を機械とみなし、「我思う、故に我あり」に示されるように、唯一絶対的な存在は人間の自我であるとした。それは、ペストが荒れ狂い、寒風が吹きすさぶ中で、薄暗い明かりのともる部屋の中で、追い詰められた人間が最後のよりどころとした言葉であった。だがこのデカルトの機械論的自然観と、ベーコンの自然支配の思想こそが、近代文明の原動力となった。

文明の転換期に共通する要因
 古代文明、中世ヨーロッパ文明を終焉に導いた要因すべてを現代文明は今かかえる。人口爆発・熱帯林の破壊と土壌、地下水の汚染、大気や海洋の汚染など。
 今やネットワークでむすばれ、日本の食糧の7割近くは海外からの輸入、アメリカの穀倉地帯が旱魃にみまわれたら真っ先にその影響は日本に。
 4000年前も今も文明危機は連鎖反応的に他文明を危機に、メソポタミア文明やインダス文明が環境破壊と大旱魃で崩壊した時と類似。
 
 人類はこの5000年の間、何をしてきたのだろうか。より速く、より便利に、より快適に、そして人類は宇宙へも飛び出したが自然とのかかわり方は、5000年前の古代文明と、本質的には変わっていない。むしろ自然の破壊がより大規模により深刻により加速度的になった。
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C)環境省:「平成7年版、環境白書」より、文明盛衰の概要
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=207&serial=9589&bflg=1

古代文明の盛衰の歴史
 古代文明の盛衰と環境の関係は、必ずしも明確ではない、見解が必ずしも一致する訳でもない。しかし、環境の変動が文明の成り立ちに影響してきたこと、文明の活動が環境に影響したこと、そしていくつかの文明において、文明自身が及ぼした影響による環境の変化が文明滅亡の有力な原因となっていった。
 以下に、いくつかの過去の文明の事例を、これまでなされてきた内外の研究成果を踏まえたいくつかの文献に基づいて紹介し、その盛衰と環境との関係について考える。

(1) シュメール(メソポタミア)文明
 シュメール文明は最古の文明の一つであり、メソポタミア南部で確認されている最初の集落跡は紀元前5300年頃に遡る。この文明はメソポタミア南部、チグリス河及びユーフラテス河流域の洪水多発地帯に成立していたものと考えられている。
メソポタミアでは、ウバイド文化の紀元前4300-3500年頃、治水潅漑農業が成立し、その後の諸都市の起源となる集落が形成され、ウルク期(紀元前3500-3100年)の後半には集落数が増大し都市化も進行したとされている。ウルク期には、豊富に得られた水を利用した小規模な潅漑農業が食料生産を支えていたが、初期王朝期(紀元前2800-2700年)に入ると気候の乾燥化が起こり多くの支流に分かれていた水路の数が減少し、流路も直線的になっていったため、水のない土地に人工的な運河によって水を引く必要性が生じたと言われている。これにより、潅漑のための大規模な土木工事が必要になり、結果として規模の大きい、高度に組織化された社会を生み出すことになったと考えられている。それとともに小規模集落の数が減少し、後背地の農村人口が都市に集中し、拡大する中で紀元前2700年頃メソポタミア南部のウルに大規模な都市が成立したとされている。しかし、すでに気候の乾燥化が進む状況下で潅漑を続けていたため、潅漑用水に含まれる塩類が水分の蒸発によって次第に土壤に蓄積し、紀元前2000年頃からは塩類集積の進行のため、塩類に弱い小麦が徐々に減少し、大麦に変わり、ついには栽培が可能なのは塩類に強いナツメヤシのみとなったものと見られる。上流域では森林の伐採などもあり土壤の浸蝕が進み、河川に流入した土が下流に堆積することにより潅漑用水路の閉塞をもたらしていたものと見られ、この沈泥は塩類を含んでおり、これが塩害を加速したものと推測されている。紀元前2400年頃には、現在のアメリカやカナダの収穫量に匹敵する1ヘクタール当たり平均2,537リットルの大麦収穫があったが、300年後にはその40%にまで落ち、紀元前1700年には897リットルと35%しか収穫できなくなり、大麦の収穫量がはっきりと減少傾向を示した紀元前2000年には既に最後のシュメール帝国は崩壊しており、その300年後には権勢の中心は塩害にあっていない北方のバビロニアに移っていたといわれている。メソポタミア人の主食の大麦の余剰が都市文明に生きる人々の生存を支えていたが、塩害による生産減少により、主食の余剰がなくなり、南メソポタミアのシュメール文化は衰退していたと考えられるのである。(出典 クライブ・ポンティング「緑の世界史」、湯浅赳男「環境と文明」)

(2) クレタ文明
 クレタ島は紀元前2000年の始め頃、地中海における文化的中心の一つとして現れてくるが、これには文明の先進地域であるメソポタミアにおける木材不足も関連していたとされる(第1-2-3図)。例えば、宮殿の建設や補修、建物の暖房や調理のためなどに木材は欠かせないものであったが、メソポタミアでは文明の発展とともに森林資源が減少していったようである。このときまだ森林を有していたと推定されるクレタ島はメソポタミアに対する重要な木材供給基地となったとされ、このことがクレタに大きな富をもたらし、クノッソスを中心とするクレタ文明を繁栄に導いていったのではないかと考えられる。クノッソスは一度大地震に見舞われ崩壊したが、そのときは豊富な森林資源のおかげで再建することができ、引き続き急速に発展したクノッソスの人口は千年前の約28倍程度に増加したとされる。この人口増加と文明の発展とともに木材の消費量も増加し、それに伴い森林は減少したと考えられ、かつて豊富な森林資源を背景に発展したクノッソスでも木材が不足するようになっていったものと考えられている。クノッソスは森林が減少したこともあり衰退し、文明の中心は当時まだ森林を有していたと推定される南ギリシャのミュケーネへと移っていった(第1-2-4図)。(出典 ジョン・パーリン「森と文明」)

(3) ギリシャ文明
 ミュケーネ文明が台頭し始めた紀元前1550年頃、ギリシャは森林を有していたものと推定される。しかし、紀元前13世紀の後期青銅器時代には経済の拡大とともに人口が増大し、それによると考えられる木材資源に対する需要の拡大と農地の拡大がミュケーネ文明の中心であったメッセニア地方をはじめとするペロポネソス半島における森林の減少を招いたようである。そして文明は森林の減少もあり衰退したようで、メッセニア地方では紀元前13世紀から紀元前12世紀の間に人口が9割も減少したと推測される。かくしてギリシャ文明の中心はギリシャ本土から、まだ森林を有していたと推定される小アジアへと移っていった。
 紀元前7世紀頃から小アジアではミレトス、エフェソスなどの港湾都市が栄えたが、ここでも人口の増加、農地の拡大等を背景に森林が減少し、それにより土壤の浸蝕が進行し、土砂が河川に流れ込んだものと見られる。河口に位置したミレトスやエフェソスでは港にこの土砂が堆積し、沼沢地化が進むことによって海に面した港はしだいに内陸化し、かつて栄えた港湾都市もまた衰退していったとされている。
 人口が小アジアへと分散したために、紀元前8世紀になるとギリシャ本土は森林を回復していたと推定される。この森林に支えられて文明もまたギリシャ本土で復興し、それはアテネの繁栄へとつながっていったものと考えられている。アテネが黄金時代を迎えたのはペルシャ戦争以後であるが、ペルシャ戦争の勝利、その後アテネがギリシャ世界の指導的地位につくに当たっても重要な役割を果たしたのがアテネの海軍だった。軍艦の建造やその費用を賄うための銀の精錬、さらにはペルシャ軍に破壊されたアテネの復興にも木材が必要となったであろう。ペルシャ戦争以後アテネは強力な海軍力を背景に繁栄したが、発展とともに人口も増加し、暖房や調理のための木炭の需要も増大し、アッティカ地方では森林の減少が進んでいったとされている。これをさらに進めたのがペロポネソス戦争であったと考えられる。紀元前5世紀後半のギリシャはアテネとスパルタの2大勢力に分割されていたが、この両者の間で戦争が始まったのである。当時、木材は海軍国のアテネにとっては特に重要であったと考えられる。このため戦争が始まるとすぐにスパルタ軍がアッティカ地方に侵攻し、森林を伐採したようである。戦争の長期化とともに森林の減少は進み、長い戦争の末にアテネもスパルタも共に衰退し、ギリシャ世界の覇権は森林を有していたと推定される北方のマケドニアへと移っていった(第1-2-5図)。(出典 ジョン・パーリン「森と文明」、湯浅赳男「環境と文明」)

(4) ローマ文明
 ローマがエトルリア人の支配を脱し、共和政を打ち立てた頃(伝承によれば紀元前509年)ローマは森林を有していたものと推定される。この頃ローマは木材を輸出し、ギリシャなどの文明の先進地域からさまざまな製品を輸入していた(第1-2-6図)ようであるが、ローマを取り囲む森林はまず居住地域の拡大のために減少していったとされている。紀元前3世紀末になると粗放形態の牧畜と集約的な二圃式農業が導入され、それとともに農地が拡大し森林は後退していったと考えられる。これはまず燃料代の高騰という形でローマの生活に反映し、このような動向に対して、ローマ最大の雄弁家と言われるキケロのように森林保護を訴える声もあったとされるが、ローマは征服によって木材を補充する道を選んだと考えることができよう。次々と周辺地域を征服し、森林を領土の中に取り込んでいったローマ拡大の背景には、このような木材需要もその一因としてあったものと考えられる。
 この中で建物の建設や暖房、ガラス産業などのために木材が消費された。ローマの成長の財政的基盤はスペインからの銀にあったが、銀の精錬には燃料として木材が必要とされ、このためスペインでも森林の伐採が進んだ。銀の生産が減少し、財政的な困難に直面したローマは配給のための食料やその他必需品の徴発など市民の自由を拘束するものだった。富裕な貴族階級は田舎の大農園に閉じ込もり、ローマには配給で暮らす土地を失った市民ばかりが残った。
4世紀にはローマは食糧を北アフリカに依存するようになり、海が荒れたりするとたちまち食糧不足の恐怖に見舞われた。この食糧不足が一因となって社会的混乱を招き、そのような中で巨大帝国は崩壊していった。(出典 ジョン・パーリン「森と文明」、湯浅赳男「環境と文明」)

(5) エジプト文明
 「エジプトはナイルのたまもの」といわれるが、エジプト文明の歴史は砂漠に谷をうがって流れるナイルの両わきに見られる幅10-20キロメートル程のグリーンベルトの中で展開したものとみられる。ナイルは、定期的な氾濫を繰り返したが、それは穏やかなものであり、また、ナイルの両岸が断崖をなしていることも手伝って、他の大河川のように大洪水に見舞われることもなかったようである。エジプト文明はこのナイルの毎年の定期的な氾濫がもたらす肥沃な土壤の上に成り立っていた。
 ナイル川の上流のエチオピアやウガンダに当たる地域では毎年6月にもっとも多く雨が降り、9月にはほぼ300キロ離れたエジプトで洪水が起きた。洪水は狭いナイル溪谷の全域に肥沃で新たな土壤をもたらし、それは11月までに終わり、この期間に秋作物の種を撒くのであった。ナイル溪谷の地下水位は洪水の1ヶ月間も地表から3メートル以上低いところにあったため塩類が累積することもなく、毎年肥沃な泥土と水が供給され、土壤が維持されたものと考えられる。この方式は、自然条件を巧みに利用し、複雑な技術を必要としないものであったため、古代エジプトで導入されて以後特に変更なく継承されたようである。(出典 クライブ・ポンティング「緑の世界史」、湯浅赳男「環境と文明」)

(6) インダス文明
 インダス文明は、紀元前2500年頃都市文明として成立したものと見られる。その中心はモヘンジョダロのあるインダス川流域のシンド地方であると考えられている。インダス文明の諸都市はモヘンジョダロの遺跡に見られるように整然とした計画に基づいて建設されていた。
この都市文明を支えていたのは冬作物を中心とする氾濫潅漑農業であったと考えられている。すなわち、インダス川がゆっくりと川幅を広くするように水を広げて氾濫することを予想して弱い土手を作っておいて、水が引いたときにシルト(沈泥)がため込まれるようにして、それがたまった場所で耕作を行うといった方法である。これによって、潅漑よりもむしろインダスの環境に適した農業が行われたものと考えられる。
 このインダス文明は紀元前1800年頃から衰退期に入り、紀元前1500年には滅亡したが、その原因としては、異民族(アーリア人)の進入、大洪水、河道遷移、環境影響などさまざまな説が考えられてきた。その中の気候変化に関する説では次のように考えられている。
 現在から5000年前以降、気候が寒冷化すると西ヒマラヤ一帯の積雪量が増加した。これとともに夏季の南西モンスーンは不活発となり、パンジャーブ平原やラージャンスターン平原などインダス川中・下流域は乾燥化した。この乾燥化の中で人々は水を求めてインダス河畔に集中した。この時、ヒマラヤから流出する河川では、積雪量の増大とともに大融水によって春先の流水量を増加させていた。これが冬作物を中心とする氾濫潅漑農業の発展を可能にし、急速に都市文明が形成されていった。インダス文明が衰退期に入る3800年前以降の気候変化の詳細は明らかではないが、この時期はユーラシア大陸が再び温暖期に入っていたと考えられ、それが春先の流水量を減少させ、それに依存した農耕社会に打撃を与え、インダス文明衰退の一因をなしたものと考えられている。(出典 安田喜憲「気候と文明の衰退」、湯浅赳男「環境と文明」)

(7) 中国文明
 中国の文明は黄河文明に始まるといわれてきたが、それにより遥かに古く揚子江流域で稲作文明が始まった。1970年代に発掘された浙江省河姆渡遺跡からは7千年前の住居跡、倉庫跡、稲等が出土した。また、河姆渡に近い良渚遺跡からは玉器を中心とする高度な工芸品が産出され、稲作を中心とする都市文明が5300~4200年前に栄えたと考えられている。稲作農業の特徴は、水を大量に必要とすることから、水を貯え供給する森林と稲作は共生していたと考えられるが、その後北方からの侵略により滅んだといわれている。
 一方黄河流域では、紀元前14世紀の殷の時代に、畑作を中心とする農耕が本格的に始まった。当時も今日と同様に乾燥した気候条件下にあった、土壤が比較的水分を多く含んだ丘陵縁辺の河川の流域が農地となっていた。農業はもっぱら雨水に頼っており、作物は耐乾性のあるアワが中心だった。
 黄河は膨大な量の黄土を含んでおり、平原に入って流速が落ちるとそれが沈澱し川底は100年に30センチメートルの割合で高くなった。黄河は増水するとたちまち氾濫し、有史以来2年に1度の割合で洪水、そのたびに河道を変えたため、支配者にとっては治水が重要な課題だった。また、乾燥気候下における農地の拡大には潅漑が必要だった。中国でも治水と潅漑の必要性が中央集権的な国家を生み出すことになったとされている。そして、以後の文明の盛衰もこの治水・潅漑の成否によったといわれている。(出典 湯浅赳男「環境と文明」他)

(8) イースター文明
 イースター島は人の住む最も近い島からでも2,000キロメートル、絶海の孤島である。現在のイースター島はほとんど樹木のない不毛な景観、ただ数百体の巨大な石像(モアイ)がかつての文明の面影を伝えるのみである。 イースター島に初めて人が住み着いたのは、火山が噴火を停止しておよそ400年後の5世紀頃だった。最近の花粉分析によれば種数は少ないとはいえ高木を含む豊かな植生が島を覆っていたが、火山島で年間を通して流れる川がなく、火口湖以外には湖等もなく、ほ乳類は生息しておらず、植物の種類も少なく、しかも土地の排水は悪かった。栽培できる作物はサツマイモぐらいで、人々は外から持ち込んだサツマイモと鶏により生きていく。
 食糧獲得のための農耕に余り時間を要さなかったため、人々は余った時間をもっぱら祭礼に向けることになり、島には300を越える祭祀場が作られ、石像は動力となる家畜のいないイースター島では石切り場から祭祀場までの人々は丸太をコロにして人力で引きずったり、各種用途に木を使用したため、森林減少は進んだ。木製のカヌーは作れなくなり、長い航海には耐えられない草で編んだ船だけ、島から逃れることもできず閉じ込められた。
 土壤流失や栄養塩の流れ出し、作物の収量は低下した。1550年には頂点の7,000人を支えきれず、資源をめぐり恒常的な戦乱状態、奴隷使役が普通、食人が始まった。イースター島の森林資源は貧弱なことは島民も認識していたが石像を作り続け300以上の未完のまま石切り場に残し文明は崩壊。
 1774年にイギリス人ジェームズ・クックがこの島の調査をしたときには石像はほとんど倒れ、人口は600-700人程度になっていた。(出典 ポンティング「緑の世界史」)
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# by tikyuu_2006 | 2014-07-26 10:04 | 新しい文明の構想

現代文明を疑おう

現代文明を疑おう(その1)(ひろばユニオン2006:3連載)

近づく「地球の限界」--成長主義の暗い影
石井吉徳: 東京大学名誉教授、富山国際大学教授(当時)

豊かさの陰に破壊あり
地球は有限です。人類は物的な無限の成長はできないのです。なぜなら、それを支える地球の資源、森、水、石炭、石油などはすべて有限だからです。一方、世界の人口はすでに64億人(当時)を超え、まだ増え続けます。社会の大量生産も、とどまるところを知りません。廃棄物、ごみは増えるばかりです。

それを循環、リサイクルで何とかしようとなりますが、これにも膨大なエネルギー、今の主力の石油が使われます。現代文明は地球の過去の遺産で存続していることになるのですが、最近、この頼りの石油に陰りが見えてきたようです。しかし、これを認める人は少ないのです。

現代工業社会は指数関数的成長を当たり前と思うようです。その成長主義の頂点にアメリカがいますが、この国の浪費は世界からの借金でまかなわれます。そのお金は日本などが出しています。この世界人口の5%のアメリカが、エネルギーの25%を使うのです。

そして市場主義、アメリカンスタンダードをグローバリゼーションとして世界に普及させます。このマネー原理主義によって、アメリカ国内はもちろん、世界に貧富の格差を作ります。いま世界で紛争が激化しています。世界の何かが変わりつつあると思わねばならないのです。地球の限界に当面しているのでしょう。しかし、科学技術が進歩すれば、市場に任せればと言う人が大勢ですが、本当にそうでしょうか。

人類の歴史、文明史は、「森を失った文明」が滅ぶことを教えていますが、人類はそれを教訓とすることができないようです。昔も今も人類は森を大事にしませんでした。 写真は、世界遺産に指定され、辛うじて生き残ったレバノン杉、数千年の遺影です。以前、深い杉に覆われていたレバノンも、今はこのような林が所々に残るだけです。

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かろうじて残る、樹齢数千年のレバノン杉(1996年、撮影・川村徒最子)

このようにして、人間の森林破壊は今も続きます。最後の熱帯林といわれるアマゾンの森も、アメリカのハンバーガー用の牛の放牧ため伐採されますから、アメリカ人はアマゾンの森を食べているといえます。そして今では、世界の森は半減してしまいました。

タイの沿岸では広大なマングローブ林が伐採され、エビが養殖池で育てられます。しかし過養殖、過度の化学物質の投入などで池は数年で駄目になるそうで、次々とマングローブ林は破壊されていきます。エビは日本が最大のお得意さんとのことですから、日本人はタイのマングローブを食べているといえるのです。また、環境に優しいとされるヤシ油は、マレーシアの熱帯林を破壊して生産されます。これも大きな矛盾です。

石油が消える?
現代は石油文明と言われます。この常温で流体の石油が、車社会、ひいては現代の大量生産社会を可能としました。この意味で石油は「社会の生血」なのです。ところが最近は、大油田があまり発見されなくなりました。市場原理も技術の進歩も、地球の限界には勝てないからです。今はかつての石油発見のストックを食いつぶして、人類は現代の発展を維持しているといえます。

発見のピークは今から40年も前のことでした。生産は増える一方ですから、かなり早い時期、例えば2010年前にも石油生産は減退期に入ると警告する人が増えてきました。そうかもしれないのです。需要に生産が追いつかなくなるのですが、これを「石油ピーク」と彼らは呼んでいます。早晩「高く乏しい石油時代が来る」ことでしょう。

「石油ピーク」の影響は、まず車、船、航空機などの運輸システムに現れるでしょう。これはグローバリゼーション、国際物流のあり方を一変させ、そして国際企業の仕組みを激変させるかもしれません。原油の価格の高騰から船賃はすでに高騰し、航空運賃も上昇しました。

これはグローバリゼーションの逆、すなわち集中から分散、地産地消(地域で生産されたものを地域で消費すること)の時代の到来を暗示するようです。人類生存の原点は言うまでもなく食料ですが、今の日本は世界中から食料を輸入します。自給率は40%と世界でも最低水準です。野菜ですら日本で作らないのです。この農業も石油から作る化学合成物質なしには存続しません。石油が滞ったら日本はどうなるのでしょうか。

「沈黙の春」はそこに
私は60年ほど前、富山市の郊外で育っています。子供の頃、夏には蛍が、秋にはうるさいほど赤トンボが飛び、田圃にはタニシ、ヒルなどが沢山いたものです。小川のくぼみに手を入れると、フナが跳ね、メダカも沢山いました。それから半世紀余、今は富山市郊外の大学にいます。田園風景は広々と豊かに見え、遠方には立山連峰が望めます。大学のキャンパスには時折、日本カモシカが来るほどです(写真)。

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筆者が教鞭をとる富山国際大学キャンパスに現れた日本カモシカ(2002年、撮影・上坂博亨)

ですがある時、妙なことに気づきました。田園が静か過ぎるのです。車以外の音がほとんど聞こえない。動くものがいない。鳥もいない。蝶が飛ばない。蚊すらほとんどいない。子供の頃、うるさいほどいた赤トンボもあまり見かけません。そして空には「トンビが飛ばない」ことに気づきました。
「トンビが飛ばない」ということは、食物連鎖の頂点のトンビの餌になる小動物がいないということです。小動物がいないということは、彼らが食べるミミズ、虫などがいないということです。

この発見は私にとって衝撃的でした。考えられる理由はただ一つ、水田に撒かれる農薬、合成化学物質が自然生態系を破壊したということです。
「沈黙の春」(R・カーソン、1962年)が目の前にあったのです。「春になっても小鳥がさえずらない」のは過去のことではなかったのです。石油から作る農薬による土壌破壊です。そして農業機械も石油で動きます。

見直す必要があるのではないでしょうか。これについては後で詳しく述べますが、これからは「自然と共に生きる」「集中から分散」がキーワードとなるでしょう。そして「科学技術で自然を改変、制御する時代」から、「自然と共存する知恵を育てる時代」となるのではないでしょうか。地球が危ないのではなく、いま危ないのは人間なのです。

現代文明は人を本当に幸せにしたでしょうか。内閣府統計によれば「物より心の豊かさを」と願う人が60%に達しています。物余りの中、人間の心はますます貧しくなったからでしょう。GDPで計る経済は、地球の有限性を考慮しないのです。これからは効率を最優先する社会から、知恵を、「物より価値を重視する文明」へと転換すべきではないでしょうか。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/hirobaunion/hirobaunion_1.htm
以下次号
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現代文明を疑おう(その2)

大量生産の後始末ーリサイクルの盲点 
分別すればいいのか
地球から資源を大量に収奪し、短サイクルで大量廃棄する――この浪費型の大量消費社会が行き詰っている。自然も、人類の浪費の結果である大量の廃棄物を処理しきれない。美しかった国土にゴミは溜まるばかり。そこでリサイクルを、環境技術を、となる。一見良さそうだが、本当にそうなのだろうか。これが今回の主題である。

国、地方自治体も、そして民間機関なども懸命だが、一向にゴミは減らない。廃棄物は溜まるばかり。規制すれば不法投棄、垂れ流しとなる。本当に困ったことだが、モラルだけの問題ではないのかも知れない。今のリサイクルは社会システムとして基本的な矛盾、問題があるからかも知れない。地球規模問題としての温暖化対策について言えば、これは現代工業化社会が出す気体のゴミである。これも一向に減らない。そこで技術の出番となる。二酸化炭素を海洋、地中に隔離する考えであり、一見良さそうだ。

が、少し考えると分かるが、これとてゴミを自然環境に捨てることに変わりはない。自然に対する無断の不法投棄の類かもしれない。しかもエネルギー使用量は確実に増える。部分の正義は、全体の正義とは限らない。また、「分別すればゴミも資源」も、本来ゴミとは様々な物質が混ざり合い、分散、劣化したものと考えると、それを「完全分別」することには疑問が生ずる。大きな労力、社会的負担を要するからである。一方、鉄くず、古新聞などは昔から再利用されている。社会的にも定着している。その理由は簡単であり、かつ本質的である。「質」がよく、資源として濃縮されているからである。資源とは何かの問題であり、リサイクルの本質がここにある。 

リサイクルを科学する
物とエネルギーの分散、拡散、劣化を扱う科学がある。熱力学と言い、その第二法則が特に重要である。エントロピーの法則ともいう。これを理解すると、ゴミ問題の本質が見えてくる。できるだけ簡単に説明するので、しばらくご辛抱願いたい。

一般論から始める。自然現象は常に拡散、平均化に向かうもので、それを熱力学ではエントロピーが増大すると言う。その逆、エントロピーが減少するときはそこにエネルギーの投入があると教える。一滴の赤インクを水に落としたとする。赤色は自然に拡散する、しかしその逆は絶対に起こらない。このことは経験が教えるが、これがエントロピー則、別に難しくはない。極めて単純なこと、だが最も本質的である。これを更に普遍させれば「自然は起こりやすい方向に進む」となり、その一方向性は絶対である。

これを人の社会に適用すると、ゴミを捨てる人は多いが、集める人は少ないとなる。それは捨てる方が容易だからであり、その方が確率が高いからと言える。だが、散らばった物を集めるには労力が要る。大変である。この労力とはエネルギーのことである。工業化社会も同様に、質の良い資源を使って人工物を作り、最後に捨てるが、これは拡散、混然の過程である、このときエントロピーは増大する。これを上流から下流への流れと説明すると分かりやすい。そしてこの逆、つまりリサイクルには、必ずエネルギーが要ることになる。

要するに、リサイクルは本質的にエネルギー問題なのである。ここでの教訓は、ゴミ問題はまず「上流での減量」が最大のポイントということである。リサイクルは、膨張願望の大量生産型社会の後始末を、下流だけ行おうとする考えである。だから難しいのである。ゴミ問題は物流の原点、上流を減らすのが最も効果的である。化学物質による公害は汚染源の除去が鉄則であるのと、理念は全く同じである。

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現代の工業化社会(石井吉徳、2002年)

分別すれば資源、車のシュレッダーダストでの資源化、廃プラスチックの液体燃料化など、論理を再構築すべきことが少なくない。特にエネルギー技術においては、エネルギー収支(EPR=Energy Profit Ratio)で評価しないとかえってエネルギーを失うことになる。今更ながら循環型社会の構築には「真の科学」が必要なのである。

循環型社会形成推進基本法では、①発生抑制(Reduce)、 ②再利用(Reuse)、③再生利用(Recycle)の3Rが、この順に大切とされている。最初のR(Reduce)、すなわち減量が最も大切である。これは上流が最重要ということである。すぐ廃棄されるようなものを作らない、市民がそのようなものを買わないことである。そして成長の質を問うのである。市場競争原理主義、科学技術万能主義を断ち切るのである。そして市民が制御する、市民のためのコミュニティ社会を構築し、自然と共存する分散型社会を模索するのである。

20世紀型の都市への集中、工業化は、豊富で安い石油あってのものである。そして「常温で流体の石油」が内燃機関を可能としたことも忘れてはならない。前号で述べたように「石油ピーク」は、グローバルな輸送、物の運搬を変えるであろう。物流には海外で作る「見えない物流」もある。通常の「見える物流」と合わせて、日本の総物流は年間57億トンに上る。これら2種をすべてリサイクルしないと論理は整合しない。本文での廃棄物とは、産業廃棄物4億トン、一般廃棄物5千万トン、プラスチック類1千万トンなど。57億トンのほんの一部だが、それでも大いにてこずっている。

「もったいない」の実践を
そこで結論。現代のGDP成長至上主義、商品の短サイクル浪費願望をそのままに、循環型社会を望むのは元来、間違っている、上流の奔流をそのままに、下流だけではリサイクル社会は完結しない。無理な注文である。

日本には「もったいない」という奥ゆかしい言葉がある。浪費なければ成長なしという発想はもう止めよう。Think Globally,Act Locally である。できることは目の前にいくらでもある。例えば、
 
 ・まず減量(Reduce)、再利用、そしてリサイクル。
 ・丈夫なものを選ぶ。買うより修理、捨てない。
 ・石油漬け農業を転換し、有機農業、地産地消、里山を生かす立体農業を。
 ・地域の物々交換、中古品を融通しあう。物を大事に。
 ・買い物袋持参、過剰包装商品は買わない。目方を量って生鮮食料などを買う。
 ・食料、野菜など見た目で買わない。曲がったきゅうりは美味しい。
 ・ペットボトルより水道の水、自動販売機は止める。要らない物を買わない。
 ・車に乗らずに歩く。自転車に乗る。電車、バスなど公共的な乗り物を利用する。


などなど、いくらでも続けられる。皆さんで考え実行すれば政治、社会を変えられる。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/hirobaunion/hirobaunion_2.htm
以下次号
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現代文明を疑おう(その3)

GDPの矛盾-脱・成長主義へ知恵を
石油依存社会の危うさ
豊かな石油が支えた20世紀型・効率優先の成長至上主義、マネーがすべての市場主義では人類は持続できない。有限の地球に無限はないからである。 この単純なことに経済学は何も答えられない。技術至上主義も同様である、科学技術が進歩すれば大丈夫と楽観し、エネルギーさえ作り出せる、と思うようである。

地球は有限。成長至上主義では人類は持続できない
近年の21世紀は水素エネルギー源で、などはその典型だが、それは一次、二次エネルギーの区別もできないからである。水素は何か別の一次エネルギー源から作る必要がある。最近では石油の「無機起源説」すら現れた。無限に石油はある、というのである。昔からの「原子力は無限」という話は今も繰り返される。技術万能思想の矛盾である。

このようなバーチャルの論議はむなしいが、現実の世界は厳しい。文明は現実のエネルギーでしか動かない。20世紀型の石油文明において石油減耗は現実のリスクである。石油発見量は64年をピークとして減退の一途、今では生産の4分の1程度でしかない。エネルギー専門家は「オイルサンド、オイルシェール(超重質の炭化水素)がある。心配ない」というが、これは量のみの議論、エネルギーの質が考慮されていないのである。前号で述べたEPR(Energy Profit Ratio=エネルギー収支)が考慮されていない。

思考停止の日本。近づく石油減耗時代をどう生きるのだろうか。巷では「地球が危ない」という言葉があるが、これは人類の傲慢さの現れであろう。いま危ないのは人類の方である。ではどうするか。一般市民に今からでもできることは多い。社会の至る所に蔓延する浪費、無駄を自分で止めることはできる。そうすればその効果に驚かれよう。

世界の森はすでに半減した。水不足も深刻である。河川などの地表水を補うため地下水が大量に使われているが、アメリカの中南部の穀倉地帯のオガララ帯水層の水位低下は顕著である。穀物一トン作るのに水が千トン要る。穀物の輸入は水の輸入なのである。しかもその穀物を家畜に食べさせる肉食の拡大。もったいない。光合成の恵みの無駄遣いである。

現代農業には、農薬、肥料の合成、農耕機械燃料として石油が大量に使われている。石油の生産が減退し、「高く乏しい石油」となる「石油ピーク」。石油ピークは「食料ピーク」なのである。地球の水産資源も無限ではない。漁獲量もピークを過ぎたようである。大量の魚が養殖され、抗生剤すら投与される。どこかおかしい。これも石油依存の営みである。

石油減耗時代の参考になる見本が2つある。旧ソ連からの石油支援が途絶えて飢えた北朝鮮と、有機農法、自然に回帰し、飢えなかったキューバである。脱石油戦略は自然との共存が要であるが、日本の地勢を生かす生存の知恵が課題である。

石油は重要な合成化学の原料である。氾濫するプラスチックなしに現代社会は成り立たない。石油は「文明の生き血」であり、石油ピークは「文明ピーク」なのである。

心を蝕む「成長主義」
経済はGDPで計る。その無限成長が当然視されているが、これは地球の有限性と調和しない。GDP成長によって環境破壊が起きたとする。それを修復すればまたGDPが成長する。GDPは年率何%で表現するが、これは指数関数的増大を意味する。本当にこれで良いのだろうか。

効率優先の成長主義はマネー主義となり、マネーは人心を蝕むようである。企業モラルの低下、マネーゲームの氾濫は目を覆うばかり。真面目に働く人々が報われない。市場主義は強者必勝、勝者がすべてを獲る仕組みである。これで良いのか。成長がすべての現代社会だが、石油ピークはその見直しを求めている。今のままでは人類は持続できそうにないからである。これは文明が変わるレベルのことであり、大変な難問である。だが考える道筋、優先順位はそれほど難しくない。

まず、あらゆる機会を捉えて石油を確保する。石油ピークは「枯渇」のことではないからである。私が「石油減耗」と言う真意はここにある。同時に石炭、原子力など、在来型のエネルギーインフラも徹底的に見直す。なぜならこれらは豊富な石油を前提としているからである。 「石油は常温で流体である」ことを忘れてはならない。20世紀型の工業化文明は車の大量生産から始まっている。したがって石油減耗の影響は、まず運輸システムに現れよう。当然、低運賃を前提とするグローバリゼーションは大打撃を受けるが、これは食料の大半、原料のほとんどを海外に依存する日本にとって一大事である。

▲ブッシュ米大統領は1月の一般教書演説の中で「石油依存からの脱却」を表明。
 
「第3の経済学」を
これからは、真の国際競争力とは何かが問われよう。大きいことは良いこと、経済大国などという価値観は時代遅れとなるかもしれない。 自然エネルギーは大切だが、その本質が分散的と考え、むやみに大型、ハイテクを望まず、日本の地勢、自然に合った工夫をする。分散社会にどのように自然エネルギーを取り込むか、である。その判断にはEPRが不可欠、エネルギー収支を考える習慣をつけたい。そして地域分散、自然農業、地産地消を考えていく。新しい雇用も生むはずである。

地球の限界を認識する、資本主義でもマルクス経済学でもない「第三の経済学」、ニコラス・ジョージェスク=レーゲンがいう、エントロピー論(熱力学の第二法則)に基礎をおく経済学が必要である。そして日本の奥ゆかしい言葉「もったいない」を思い起こそう。

昨年、小泉首相は「脱石油戦略を」と述べ、今年1月の施政方針では「もったいない」を強調した。そして「むすび」の言葉は「志」であった。ブッシュ米大統領も、先の一般教書で「脱石油依存症」を宣言し、現在捨てられている植物繊維などから――食べられるトウモロコシやサトウキビでなく――エタノールを作る研究に資金を投ずる、と述べた。我々の数年に及ぶキャンペーンが、ようやく実を結びつつある。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/hirobaunion/hirobaunion_3.htm
以上で連載を終えるが、まだまだ説明不足。私のホームページをぜひご参照頂きたい
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/
以上で連載完結(ひろばユニオン:2006)
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# by tikyuu_2006 | 2014-07-24 17:49 | 新しい文明の構想

日本の科学技術戦略を想う

「わかったつもりは無知に劣る」-戦略なき日本の科学技術

これは言わば講演録、「もったいない学会」の総合タイトル「エネルギー・資源・文明危機下の戦略なき日本を乗り越える未来戦略について」にて話した内容(2014年6月6日東京大学工学部2号館)を基にしています。
http://www.mottainaisociety.org/index.html

私の現代文明的な危機論、日本の危うさについての警告
その要は「地球は有限、資源は質が全て」、私の年来の主張です。資源に乏しいにもかかわらず、本質的な危機感を欠き、最近では日本近海にメタンはイドレートが豊富、海底には熱水鉱床がある、海流エネルギーがあるなどと楽観論が展開される昨今、膨大な国費が使われています。 
これも有限地球観がないからでしょう、石油ピークも理解せず、シェール革命だ経済成長だと暢気な楽観論だが、もう真剣に自分で考える、欧米追従は終わりにすべき時なのでは。

日本は温暖化危機には必要以上に敏感
二酸化炭素の地下貯蔵のCCS、排出権取引などには懸命で、企業も国費浪費のビジネスとして温暖化危機を唱えますが、これは殆ど間違い、地球はもう寒冷化していると観測データが示しているからです。基本戦略は「低エネルギー社会」とすべきです。
http://oilpeak.exblog.jp/18328015
地理学の鈴木秀夫東大名誉教授は東大駒場S26年クラス会誌に、次のように述べます、
“後輩から送られてくる論文をみると、温暖化説が多く、一方、少数意見として寒冷化の可能性説もあります。もっと重要な問題があります。温暖化が事実とした時、それは本当に人類にとって困ったことであるのか、という問いです。カナダの小麦生産は増えるでしょう。ロシアも住みやすくなるはずです。サハラ砂漠には雨が降って農業がさかんになります。東京が水没しても、その繁栄は、栃木県南部に移るということです” と。 
科学者としての自信とプライドがこのようの深い内容の文を書かせたのでしょう。今更ながら今は亡き鈴木君の慧眼に敬意を表します。

そこでエネルギー・資源についての私見を述べます
実は温暖化危機対策は原子力推進とセットだったようです。原発安全神話もそれに沿っていました。これが3.11で崩壊した。ですが、今も原発再稼動したい為政者、企業ですが、これでよいのでしょうか、本当に原発は安全なのでしょうか。
このように日本では、エネルギー・資源問題は原点で迷走するのです、日本近海に海洋資源、メタンハイドレートがとマスコミは喧伝しますが、本来これはエネルギー収支比、EPRの問題なのです。
最近、週刊東洋経済が6月21日号で特集:検証)「日本の海洋政策、国産海底資源バブルの内幕」と題する10ページ大の調査記事を出ました。担当記者が予め理念の取材に見えました。そのためでしょう、日本にはめずらしいリアリズムの優れた記事となりました。
これからは自然と共存する社会が大事、地域分散の地産地消、食とエネルギーを構想すべきです。現代の東京一極集中からの分散は、関東震災の備えとしても急務なのです。

もったいない学会とは「石油ピークを啓蒙し脱浪費社会をめざすもったいない学会」が正式名
2006年に創立し、翌年東京都NPO法人となりました。その要の思想は石油ピーク、石油文明終焉に備える脱浪費です。為政者、企業の希望する経済成長路線は有限地球でありえない、成長の限界です。
しかしこれを理解しない人は大勢ですが、実際には下図のように、石油生産限界、価格高騰は2005年ころから基本トレンドが変化している、これが石油ピークです。政府、企業の資料でなくドイツの識者グループ、EWG(Energy Watch Group)によるものです。
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「地球は有限、資源は質が全て」の意味するところ
これは言い換えると有限地球観ですが、人はそれを理解できない、更なる経済成長を目指します。資源制約も大量のマネ-ばら撒き、超緩和金融政策で凌ごうとします。一見GDPは増大しますが、国民、市民は幸せを感じていないのでは。何故か、もう少し考えてみます。
次は「99% vs Top1%」の比較、超格差社会の図です。この成長パターンの特徴をご覧くさい。過去30年間とその前の30年が、1980年頃で大きく傾向が異なるのです。
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これはアメリカの例ですが、1947年から1979年までは、最上位20%と最下位20%は同じように成長しました。だが1980年頃を境として大きな様変わり、トップ1%のみ成長しそれ以外の99%は停滞しています。これが現代の超格差社会です。日本も同様な傾向と見られます。

何故そうなったかですが、現代の石油文明は石油で支えられますが、その石油が生産ピークを迎えている、アメリカ政府が経済の成長政策を取っているからです。つまり文明を支える資源に限界が来ているので、トップ1%しか成長させられない、99%の犠牲の基にトップ1%が潤うように政策展開されている、アメリカのウォール街、金融社会を成長するマネー社会を推進、その結果の超格差社会なのです。
そのための権力構造維持に金融機関、FRB,ワシントンと回転ドアーのように人が動かす人事政策を行っていると言われます。それを詳細に述べる「The Price of Inequality」、ノーベル経済学賞を受賞したエコノミスト、J.Stiglitz著2013年、500ページのペーパバックの大作は必見です。
日本も同様の政策を安倍政権が取っています、いわゆるアベノミックスですが、その基本原理はアメリカの模倣、安倍さんの家庭教師・エコにミストは浜田宏一内閣官房参与、イエール大学名誉教授だからです。

首都圏の一極集中は日本国家の大問題
今の日本の「国のかたち」の脆弱性は世界に類が無い。いずれ来る間東大震災に備えないと国家存亡の危機を迎えます。
1923年の関東大震災では、東京の災害が良く語られますが、次の写真のように鎌倉由比ガ浜は大変な災害でした。
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震源は鎌倉の西南40kmほどの相模トラフだったからです。つまり湘南は東京より震源に近かったのです。
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日本は地震災害列島なのです。
ミュンヘン再保険会社(http://www.fdma.go.jp/html/new/pdf/1512_tiiki_2.pdf)による世界の危険指数では、東京・横浜ゾーンは桁違いに危険だという。2位がアメリカのサンフランシスコ、そして3位はロスアンゼルス、アメリカ西海岸は地震多発地帯だからですが、その次にまた日本、大阪・神戸・京都、4位というのです。
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これを忘れないこと、地球物理学者の寺田寅彦は、天災は忘れた頃にやってくる、と警告します。東京一極集中から地域分散、自然と共存の日本列島文明を構想するのです。
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無限の経済・GDP成長を求めて暴走するのでなく、国民の幸せを優先する、いずれ来る関東大震災に備えとしても、地方分散が真の未来型、天皇も京都が安全と思います。

生態学者A.ロトカ:「エネルギー豊富なとき栄えるのはエネルギー最大消費の生物種、乏しいとき生存するのは最小消費種のみ」、といっています。 これからは低エネルギー社会、脱浪費の地方分散・分権の未来型が望まれます。それが自然と共存、再生エネルギー・シフト戦略なのでしょう。つまり地産地消です、そして農業は有機の立体農業が望ましいのでは。
以上が私の考える、望ましい「未来日本、その国のかたち」です。

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# by tikyuu_2006 | 2014-07-16 06:11 | これからの日本

地球の温暖化について

「地球の温暖化について」
地理学の鈴木秀夫(1932- 2011)東大名誉教授:「若きYahooはその後」、東大駒場S26同窓会誌(2010年号)より引用、

地理というのは、木理、葉理の「理」と同じで、地球の表面の模様ということです・・・模様ということについて例をあげますと、もっとも最近の大事件であった阪神淡路大地震で、多くの人々の意識にのぼった「活断層」の研究は、はじめ地理学者が「山の形」という目でみえる模様を、研究対象としてフィールドワークをつみ重ねて来た結果なのです。あの大地震がおこった時すでに東大出版会から、日本中の活断層の分布図が出版されていました。

「形から」というのを説明しますと、ある山脈の尾根が、ある所で急に位置を変えている、扇状地という一見平凡な地形がある所で微妙な不連続をみせている、そしてその上と下で考古学的にも不連続があるというようなことも、年代測定を伴った地道な研究でわかってきました。
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                      北海道宗谷付近の周氷河性波状地

活断層のことは、この小論の外ですが、「温暖化」ということについても、気候の変化が、地表の形から読み取れるのです。今、読んでいただいている諸兄は、本州以南出身の方が多いでしょう。私もそうです。北海道にはじめて行った時、何か違う所に来たと感じました。その第一のものは、全島に広がるなだらかな地形だと思います・・・
その地形について強い驚きを持ちました、・・・ドイツのDAADのお蔭でボン大学に行きましたが、野外巡検に行った時、教授は同じような地形を示しながら、これが「周氷河地形」であると説明を受けました。「周氷河」とは、氷河ができてもよい低い温度の所でも、水がないため氷河が出来ない所のことです。そこでは地表は氷河というオーバー無しに寒気にさらされて凍結し、また、融解をくりかえして静かにくずれ落ち、なだらかな地形になってしまったのです。ですから、北海道には、あまり雪が降らなかった時があったということになります。何故か。西高東低の気圧配置の時、日本海側に雪が降りますが、その水は日本海から蒸発してきたものです。ということは、北海道の西の日本海が凍結していた時があったということになります。それが氷河期です。

北海道の例は、私が明らかにしたことですが、世界の各地から、温度変化・降水量変化の歴史が報告されています。それらもタタミ一畳ほどの地図に年代ごとに記入して『気候変化と人間 -1万年の歴史-』という本にまとめました。
その結果の最近の部分を述べますと、いま、地球は温暖化の時期にあります。いまより温暖という状況は、6,000 年前に実際におこったことであり、その時、海面は上昇し、東京湾岸は栃木県南部にありました。
それから寒冷期に入り、また温暖化して、現在の姿があります。6,000 年という大きなスケールに、数百年、数十年というスケールの変動が重なっています。

・・・・いま、地球は温暖化の時代です。だからやっかいなので、今の温暖化は自然のものか、人間の関与によるのか見わけることがむずかしいのです。
たとえば工業化が進んでいた1970 年代にも、世界レベルで気温が低下し、「小氷期の再来」という文字が新聞に見えました。その頃の論文で、年平均気温が2℃さがるとカナダの小麦生産はゼロになるというのがありました。

私は、もう現在の変化の研究にタッチしていませんが、後輩から送られてくる論文をみると、温暖化説が多く、一方、少数意見として寒冷化の可能性説もあります。もっと重要な問題があります。温暖化が事実とした時、それは本当に人類にとって困ったことであるのか、という問いです。カナダの小麦生産は増えるでしょう。ロシアも住みやすくなるはずです。サハラ砂漠には雨が降って農業がさかんになります。東京が水没しても、その繁栄は、栃木県南部に移るということです。温暖化の問題には、国際政治というレベルのことが背後にあるのだと思います。以下略、
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そしてご参考(石井吉徳Blog)、地球は温暖化してはいない、そのデータ、グラフなど

尚、今は亡き鈴木秀夫君とは東大駒場の同級生、そして本郷では同じ理学部、彼は地理、私は地球物理、同じ教室で受講したこともありました。
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# by tikyuu_2006 | 2014-06-18 09:34 | エネルギー、環境

地球温暖化問題と世界の政治、経済

●地球温暖化問題をいかに世界政治と経済の歴史的流れの中に位置づけるか
アラスカ大学国際北極圏研究センター 赤祖父俊一 (2009年7月)

 米国は彼らの自動車産業を主製造産業から外し、日本に任せたに違いない。オバマ政権と米国民は衰退している自動車企業に税金を使ってできる限りのことはしたと思っている。そして彼らがよい電気(ガソリンを使わない)自動車で成功することを希望している。
 これは何を意味するであろうか。製造産業の歴史をひもとくと、先進国は次々と後進国に主製造産業を奪われている。英国の織物産業は米国に奪われ、米国は日本に奪われ、日本は中国に奪われた。英国の製鉄産業は米国に、そして日本に、そして中国その他の国に奪われた。英国の自動車産業は米国に(主としてGM)、そして日本(トヨタ、ホンダ)に、そして将来中国に奪われるであろう。この歴史の流れは必然のものであり、誰も止めることはできない。(米国は英国より財政産業を奪ったが大失敗し、世界的経済後退をもたらした。)

 それでは米国は次の主製造産業として何を選ぶのであろうか。オバマ政権は原子力産業を選んだようである。

 原子力産業を選ぶ重要な理由がある。第一に、米国では電気エネルギーはこれからますます必要になるので確保する必要がある。加えて石油(および政治的に不安定な石油産出国)依存から脱却するためでもある。石油産出は50年後には大きく減少するであろうし、また高価なものになる可能性が高い。電気自動車を奨励しているが、その電力を確保しなければならない。さらにまた、石油輸入による大赤字を止めなければならない。したがって石炭発電から原子力発電への移行は必ずしも地球温暖化防止のためではない。良い口実である。これは順を追って明らかになる。

 それでは、地球温暖化問題はいかに原子力問題に関係しているか。この問題を理解するためには地球温暖化問題はどのようにして生まれてきたのかを知る必要がある。1980年代、当時の英国首相マーガレット・サッチャーは英国の将来は原子力発電なしには不可能という結論に達したが、英国民の猛烈な反対を受けた。ちょうどその当時、極めて粗雑な地球温暖化のコンピュータ・シミュレーションの結果が発表され、CO2の削減をしないと将来(2000年以降)、大災害、大異変が起きるということになった。サッチャー首相は原子力発電反対に対して地球温暖化をもって対向すればよいと考えたようである。彼女は英国民に原子力か地球温暖化による大災害、大異変のどちらを取るかを選ばせようとした。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は彼女の強い保証と支援なしには設立されなかったであろう。彼女は地球温暖化問題をさらに研究するためにハドレー気候研究センターを設置した。当時、気候学はあまり日の目を見ない学問であった。もともと新聞記事になるような学問分野ではなかったが、一躍脚光を浴びることとなった。したがって、CO2説は科学の一つの仮説としては妥当であるが、IPCCはその誕生から原子力に関係し、「一週間後の天気さえ予報できないのに、どうして世界の終焉が予測できるか」という疑問は最初からあったが、IPCCは大災害、大異変を予報しなければならない運命をもっていた。

 当時、世界の報道は冷戦の終末時であったので、次の大きなニュースを模索していた。地球温暖化による大災害、大異変は彼らの理想的な材料になり、温暖化の想像的大異変を毎日のように報ずることになった。

 それならば、この地球温暖化問題とIPCCはオバマ政権の原子力産業推進に関係しているのか。それはもし原子力産業だけを取り上げて推進しようとすると、米国民から大反対を受ける可能性が高いからである。スリーマイル島原子力発電所の事故以来、米国は一基も原子力発電所を建設できないでいる。

 したがって、オバマ政権はサッチャー首相のように、米国民に原子力で現在の生活レベルを保つか、もっと進歩させるか、それとも地球温暖化による大災害、大異変を防ぐため現在の生活レベルを大きく低下させ、例えば電気自動車さえ運転できなくなるかのどちらかを選ばせることになるであろう。

 したがって、オバマ政権にとっては、地球温暖化による災害と異変は大きければ大きいほど原子力産業を推進するためには都合がよいのである。したがって、本当の地球温暖化の科学は、ここでは不必要であり、問題にはならないのである。実際その目的の第一歩として、オバマ政権は原子力エネルギーは“green”(大気汚染がない)、原子力エネルギーは“non-carbon”(CO2を出さない)、そしてCO2は健康に良くない(EPA長官の発言)と宣伝している。CO2が地球生命の源であることなど、問題にならない。

 CO2の赤外線、吸収と発光の物理は十分わかっているが、地球物理学での問題は、ある量のCO2を地球というシステムに放出した場合、地球平均気温が何度上昇するかという難問を取り扱う。したがって、この科学が原子力についての政治決定とゴア前副大統領をはじめとするプロパガンダに対向するのは全く意味がなく、無駄である。

 この問題で一つ述べておく必要があるのは、地球についての我々の知識はまだ極めて不十分であるのに、IPCCのコンピュータを基礎とする気候学者はあまりにも自信過剰であり、科学者として傲慢ではないかということである。気候の自然変動を無視し、雲の科学さえまだ未知のことが多いのにコンピュータ・プログラムに頼って2100年の気温を予測できると言うのである 。コンピュータはロボットと同様にプラグラムで教えられたことしかできない。プログラムが誤っていたり、不十分であれば、答えは当然誤っているか不十分である。これは学問の世界では当たり前のことであり、プログラムというものは批判されて改良されていく。それでこそ学問は進歩するのである。にもかかわらず、IPCCは反対する者を反逆者扱いし、この生まれて間もない学問を直接国際政策舞台に持ち込んだのは大きな誤りであった。IPCCの「もう学者としてできることは終わった。あとは政策者の仕事である。」というような発言は、とんでもないことである。

 もっとも米国が原子力産業を次の主製造産業と決定し、世界制覇を狙っても米国グループ(米国、日本、ロシア)とフランス・グループとは激しい競争になるであろう。(東芝は米国のウェスティングハウスの株を買ってしまった。)遠い将来には原子力の源になるウラニウムの争奪戦争になるであろう。

 オバマ政権は風力、太陽エネルギーなどを推進しようとしているが、米国の必要エネルギーの10%を供給できるであろうか。(オバマは20%を目標にせよと言っている。)いずれにせよ、80〜90%の将来エネルギーを探さなければならない。日本が知っておくべきことは、米国の石炭はまだ数百年分のエネルギーに相当するとのことである。いざとなれば、十分エネルギーはあるということである。

 いずれにせよ、米国は原子力発電が電力を十分供給できるようになるまで(10〜15年後)、石炭発電を削減することはできない。したがって、米国は国際的CO2削減については現在合意できないであろう。米国は中国とインドが合意しなければCO2削減の合意には意味がないとしているが、他方、米国は中国を米国の工場にしてきた。しかも、米国は中国に莫大な債務がある。したがって、中国の政治と経済が十分のエネルギーで順調でないと、米国は困るのである。中国は米国より「金持ち」であるにもかかわらず、自らを「後進国」とし、先進国がCO2を削減すべきであると発言している。したがって、米国と中国の上述の発言は無意味である。それは両国ともお互いに十分承知していることであろう。IPCCの委員長(インド出身)はCO2削減の上限(キャップ)に応じないと発言した。なぜ日本だけ真面目にこの問題を議論しているのであろうか。さらに、全世界は現在グローバル・キャピタリズムのため、米国の購買力(クレジットでも)に頼っているので、米国経済が順調でなければ困るのである。

 こんな明らかな事実を前にして、各国の首脳の参加している温暖化の世界会議に意味があるであろうか。過去何回も繰り返してきた会議で、何が決まったであろうか。もし地球温暖化による大災害、大異変が真実であるなら、地球温暖化問題の解決は各国首脳のもっとも厳粛な共同責任であるべきである(もっとも、グローバル・キャピタリズムによる環境破壊こそ大問題であるが、それは都合よく忘れられている)。しかし、何回会議を行っても、何も合意できないということは、首脳たちは日本を除いて、IPCCの予測である大災害、大異変を信用していないためではないか。しかし、彼らはIPCCを信ずるとしているので公にはそれを発言することはできない。人類の敵とみなされてしまうからである(ブッシュ前大統領のように)。IPCCがこの問題をそのようにしてしまった。現在までの会議は後進国は先進国からキャップ・アンド・トレードを口実に資金を得ようとし、先進国はそれを防いでいるだけである。今まで、会議で合意したことは次の発議の日時と場所を決めることだけであった。世界戦争より良く、それに比べて安上がりではあるが、こんな会議を何回続けても無意味である。地球温暖化の科学がもっと進歩するまで会議は延期すべきであろう。この問題は決して「待ったなし」の問題ではない。実際にCO2が急速に増加しているから、半世紀以上過ぎた今、まだ大災害、大異変は何も起きていない。世界中の報道が北極圏を訪ねるのは北極圏の気候変動をCO2による温暖化のためと誤報するためである。報じられた現象はどれもCO2に関係しているものとは考えられない。氷河の末端で氷が崩れ落ちるのが良い例である。

 日本では米国とオバマがついに炭酸ガス削減を真剣に考慮していると報じられているが、その背景を十分知るべきである。日本の報道の重大な欠点は調査報告というものがないので、常に「大本営発表」ばかりであることである。国民はそれを真に受けている。ここに書いてある程度のことは科学者を煩わせる必要がない。

 すでに述べたことからわかるように、IPCCは科学研究機関ではない。彼らは巧妙に2500人の「世界のトップレベルの気候学者」を動員し、IPCCに奉仕させた。そしてまた巧妙に「全員一致」の報告を提出したことになっている。2500人の大部分の研究は分厚い報告書として出版されたが、IPCCはこれをあたかも彼らの「政策者のための要約」を支持する書類かのように使った。IPCCの「要約」は必ずしも「全員一致の要約」ではない。すなわち、2500人の研究者はIPCCの目的のために単に奉仕させられたのである。例えば、IPCCは、地球温暖化は予測に反して20世紀後半急激に起きたとしている。しかし、温暖化は1800〜1850年(すなわち、CO2が急速に増加し始めた100年前)から同じ上昇率(0.5℃/100年)で始まっていた。それは地球が経験した小氷河期からの回復(寒かった時からの回復は、温暖化)である。しかし、IPCCはホッケー・スティックとあだ名のついている図を使って小氷河期を無視してきた。小氷河期があったとすると温暖化はCO2の放出が急激になった100年前からすでに起きていたので、都合が悪いからである。2500名の研究者のうち、何人がホッケー・スティックの研究結果を信用しているであろうか。おそらく、その数は少ない。したがって「全員一致」のはずがない。

 2000年頃より、地球平均気温の上昇は止まっている。CO2は急激に増加しているにもかかわらず、である。これは観測された事実である。しかし、IPCCの研究者はいまだにその事実を無視し、一時的変動であろうと言っている。気候学では、10年間同じ傾向のある変化は気候変動とされている。これはCO2による気温上昇を打ち消す未知のものがあるからである。これは小氷河期の回復に乗った準周期変動による可能性が大きい。すなわち、IPCCはCO2の影響を強調したいあまり、いくつかの自然変動を無視してきた。そのため2100年までの予測をしたにもかかわらず、2000年の最初の10年でさえ予測が外れてしまった(週間天気予報は普通少なくとも最初の日は当たる)。これが世界会議を延期すべきもう一つの理由である。各国首脳は国際地球科学の機関に上昇が止まったことについて詳しく研究し、報告してほしいとすればよい。実際は地球温暖化の科学を政治、経済、報道からの介入を避けて純基礎学問に戻すべきである。それで初めて、この学問の順調な進歩が始まるであろう。そうして初めて、我々は地球温暖化の仮説を支持者と反論者として、どちらが多数派か、少数派かということに関係なく討論できる。政治と異なり、科学では少数派が正しいことはしばしばある。
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●地球は温暖化してはいない、そのデータ、グラフなど

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# by tikyuu_2006 | 2014-06-11 19:57 | 新しい文明の構想

石油ピークは2005年頃だった

最も大事なことが知らされていない、それは「地球は有限、資源は質が全て」、そして石油は有限である、ということ。

「石油ピークは2005年頃だった」、政府、企業でなく、ドイツの識者グループ、EWG(Energy Watch Group)の見解、次図ご参照
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EWG Oil spot price vs. global production –different behaviour from 2005
Figure shows the different correlation patterns of 1998 – 2004, where oil supply and oil price show a highly elastic correlation and of 2005 – 2011 where oil supply and oil price show a highly inelastic correlation.

そして次2件もご参照、
「ピークオイルと人類の運命」
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/pdf_files/Actio2010_12.pdf
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# by tikyuu_2006 | 2014-06-01 10:19 | 石油ピークとは

石油文明は終わる、自然と共存する分散型社会の構想

モノつくりすら変わりつつある
ドイツ発、考える工場 シーメンス・ダイムラーなど連合  日経2014/4/15
 シーメンスやダイムラー、ボッシュなど、ドイツを代表する企業が連合し、ものづくりを根底から変えようとしている。劇的な生産性向上と省エネルギーを実現し、猛追する新興国を引き離して、生産拠点としての強さを固める――。ものづくり大国ドイツが威信をかける「第4の産業革命」は、11兆円超の経済効果も期待される。
ラインに車体が流れ、ロボットが加工する。見た目はどの自動車工場にもある組み立てライン。だが、ものづくりの発想が全く違う。車体とロボットが「会話」しながら組み立てていくのだ。 仕組みはこうだ。車体にはICタグが埋め込まれ、型式や必要部品、組み立て手順などの情報が記録してある。車体はロボットに近づくと「5枚のドアが必要です」などと作業を指示。ロボットは指示を聞いて動く。

 従来の工場は人がロボットに作業手順を覚え込ませる。ロボットはその通り動くだけなので、手違いでラインに違う車体が流れてきた場合、作業ミスを起こす可能性がある。だが、ロボットと車体に「会話」があればその心配は無用だ。データを突き合わせ、間違いなく作業できるからだ。
 品質と低コストの両立には大量生産が必要というのが従来の常識。だが、このシステムが実用化されれば多品種少量の製品を量産品並みのコストでつくる道が開ける。

「社会イノベーション」としての「日本のプランB」 
(07-9作成,その後逐次改訂、2012年7月26日)もったいない学会会長、東京大学名誉教授 石井吉徳

地球は有限、資源は質が全て、石油ピークは食料ピーク、そして文明ピーク
1)脱石油、脱原発の社会、自然エネルギーもEPRで評価、リアリズム重視
2)有限地球観、自然共存の地方分散、世界6位の海岸線、山岳75%、立体農業
3)脱欧入亜、脱グローバリズム、GDPからGPI,マネー資本主義の終焉
4)低エネルギー社会、少子化ほど有利、年長者も働ける社会の構築
5)石油ピークは流体燃料危機、脱車社会、鉄路、公共運輸の重視、自転車利用
6)先ず減量、Reduce(減量)Reuse(再利用)Recycle(リサイクル)、最初のR
7)効率優先の見直し、集中から地域分散、自然と共存、地産地消で60倍の雇用
8)GDP成長より心豊かに、もったいないほどほどに、人の絆を重ずる社会の構築

EPR: Energy Profit Ratio、エネルギー収支比 (EROI:Energy Return On Energy Investedと同義) 
立体農業:300万haの耕地だが、山林500万ha、原野300万ha利用、1億4000万人が生存可 (賀川豊彦による)
流体燃料危機:車、航空機、船舶など、運輸システム崩壊
Recycle (リサイクル):エネルギーが必要、都市鉱山
GPI:Genuine Progress Indicator、真の進歩指標

「日本のプランB」、その趣旨とは、
「地球は有限、自然にも限りがある」
これを理解するのが現代人にとって至難のようである。持続的「発展」と「指数関数」的成長を当然視する現代の工業化社会は際限なく地球からエネルギー・資源を収奪することとなる。その結果、増大するである廃棄物、ゴミなどは自然を地球規模で破壊する。気体のゴミが二酸化炭素であり、地球温暖化の元凶とされる。この意味で地球温暖化も現代社会の「浪費の結果」の一つ、その根本対策は「脱浪費」しかない。
この浪費を支える石油需要に供給が追いつかなった、それを「石油ピーク」と呼ぶ、それはもう来ているかもしれない。脱石油文明は原理的に20世紀の象徴、膨張の逆を行くしかない。この脱浪費には先ず無駄をしないことである。いうまでもなく無駄とは要らないということ、脱浪費は生活水準の低下を意味しない。欧米、特にアメリカ型の大陸で育った浪費型の文明を追従するのはもう止めにしたい、これはグローバリズムに振り回されないという意味でもある。
日本のエネルギー消費は1970年頃は、今の半分程度でしかなかった。人口も今より少なくほぼ一億人、食料自給率も60%以上あった。そして心は豊であった、のではなかろうか。これを目標とすることは如何であろうか。少子化は悪いことではない、石油ピークを機に人口減を日本生存のむしろチャンスと考えたいものである。
石油ピークは車、船、航空機などの運輸システムを直撃する。石油が常温で流体だからだが、それも石炭液化、水素などと思わないこと。先ず車社会を徹底して見直す、幸い欧米に比してまだまだ残る「日本の鉄路」を再認識したいものである。つまり公共運輸機関を整え都市の構造を再構築すれば、地方の活性化、分散社会に通じよう。つまり地方分散を日本の新しい発展の契機とするのである。
食料生産も本来、地産地消が望ましい。そして自然エネルギーの活用もエネルギー密度は低いことを理解して、地方分散型を計ることである。そのような知恵、技術を育てること、従来の規格大量生産、効率至上主義からの脱却する技術が重要なのであろう。その判断基準をエネルギー収支比、EPR(Energy Profit Ratio)で考えるのである。

「石油ピークは農業ピーク、そして文明ピーク」
現代の石油漬け農業から地産地消型を推進する、流行のリサイクルも考え直す必要がある、真の循環社会とは3R(Reduce, Reuse, Recycle)の最初のReduceが大事だからである。
このような全般的な文明、社会改革は新しい雇用を生む筈で、人を大切にする思想を育むものと期待される。そしてこのような日本発の理念が国際的な尊敬をもたらし、日本の存在感は高まろう。アジアの国々との共存にも大きく貢献することであろう。
この理念、思想が「もったいない」であり、そのための具体的な価値判断が「未来へのキーワード、EPR」である。

21世紀、日本主導の未来構想
戦略のない日本はどうなるのか。燃料高騰に始まり、食料、生活物資が次々と値上がりするが、過剰な投機資金のためなどと説明されるが、「有限地球での石油ピーク」が原点にある。温暖化の危機も石油ピークと表裏にある。脱石油文明は「脱浪費」、「もったいない」、冷徹な科学合理的な「日本のプランB」を考えたい。
しかしここで当然のことを述べておく。それは「地球は有限、自然にも限りがある」ということ、当然無限の成長はできない。マネーはいわば「虚の世界」、対して人類が依って立つ「自然の恵み」は「実の世界」である。アメリカのサブプライム問題は、金融工学という「虚の世界創出」のまやかしの崩壊である。
中国もエネルギー資源の制約からいずれ逃れられまい。地球は有限、いずれもう石油ピークが来ているからだ。その文明転換期、中国石炭にも翳りが見え格差社会の歪も大きい。第三のメディア、ネット時代その不満は押さえきれまい。

つまり人類は「実の世界」の有限性に世界的に当面しつつある。これは無限成長、幾何級数的成長の本質的な矛盾である。「3・11後、日本のプランB」とはそのような原理的な視点に立つ。アメリカ型の浪費からの離脱、日本の新しい文明を構想することである。
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# by tikyuu_2006 | 2014-04-14 17:44 | 新しい文明の構想