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崩壊するエネルギー基盤、世界はその先に何を見るのか その1/2

石井吉徳 2011年12月13日

3・11と日本
人は自然の恵みで生かされています。今は石油文明、その石油生産がピークにあります。いわゆる石油ピークですが、それは食糧の生産ピークを意味します。そして運輸、合成材料なども殆どすべては石油依存ですから、石油ピークは文明ピークなのです。その石油が減耗しています。石油減耗ですが、私たちの社会はどう変化するのか、それが本論の主題です。

そこに3・11です。地震、津浪だけでも大変な国難なのに福島原発の大災害が重なりました。その危機は今も進行中、広範囲な放射能汚染は被害地、岩手、宮城、福島の東北3県に留まりません。
人間への健康被害、特に幼児、女性の未来が心配です。農業、漁業、そして自然の生態系、あらゆる放射性被害が懸念されます。その影響は数十年と長く、子孫へ引き継がれます。原発廃炉そのものも数十年もかかるようです。

原発安全神話は原子力ムラといわれる人々、政官財の権益構造によって培養されたとされ、知識人、大学もそれに協力したようです。

3・11後、その構造が次第に明るみに出始めました。とくに第三のメディア、ネットがその暴露に貢献しているようです。
日本は3・11によって、全く変わりました、でもその方向性は未だ定まりません。そのためには国の、社会の基本理念は必要です、それを考えるのが本論です。

1.石油減耗時代、新しい価値観が問われている
連日、経済成長、浮揚が話題です。もっと財政支出を、産業・雇用対策を政府は考えよ、との大合唱です。しかしすでに日本は世界最大の借金大国、20年間の日本病は益々重体、そこに東日本大震災です、更なる要求、不満が政府にぶつけられます。
それは可能なのでしょうか、無いものねだりではないでしょうか。何か根本、思考の原点を変えなければならないのではないでしょうか。石油文明を支える「安く豊かな石油」が限界なのです。

1972年のローマクラブの「成長の限界」が現実になっている、と考えます。当時、エコノミストが「限界」を嫌って一斉攻撃し葬ったのですが、それを助けたのがテクノロジスト、技術至上主義でした。成長願望は原発崩壊後も変わらないようです。

「地球は有限、資源にも限りが」、何故理解されなかったか
世界の油田発見ピークは遥か昔の1964年頃でした。そして石油の生産量ピークは2005年、その後は景気の変動とともにプラトーとなっていますが、いずれ原理的な石油減耗時代がくるのでしょう。

(2005年 R.Bartlett 議員が US Congressで証言に使った図)
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日本は無資源国と言われますが、昔は金や銀、石炭など豊富でした。けれど採り尽くしてしまった。それがいま地球規模でおこっているのです。でも認めようとしません。
例えば新しい車社会の試みとして、電気自動車が話題ですが、その電池に使われるリチウム資源は南米の塩湖で採れますが、それも自然の蒸発で濃縮された資源です。勿論有限で、環境汚染が激しいのです。

このようなことは日本で話題にしません。そして原子力発電に使われるウランも濃縮されたもの、当然有限です。そこで海水ウランという人が、業界トップにすらいます。エネルギー収支比、EPRがわかっていないのですね。

在来型と非在来型のエネルギーのちがい、本物とそうでないもの、それはEPRで判断するしかないのです。日本では近海に天然ガス資源としてメタンハイドレート豊富と、いろいろな幻想が報道されますが、濃集されていない海底面下の地層中に分散した水和物で、ガス油のように自噴するわけではないのです。そのほか様々な新エネルギーもEPRで見直さないと無限の税の浪費となります。

石油減耗時代はもう来ている
繰り返します、「安くて豊かな石油」が現代の大量生産型の工業文明を支えました。グローバリゼーションのための船の運賃は非常に安く、そのおかげで中国なども鉄鉱石を南米から輸入し鉄を造って輸出する経済が成り立っています。日本も食料の多くを海外から安く輸入できました。

しかし石油減耗で飛行機、クルマ、船など、内燃機関に石油を使う現代の運輸システムは衰退するでしょう。これはグローバリゼーションの終わりを意味します。

流体燃料が支えたグローバリゼーションが衰退すると、食料が安く輸入できないばかりでなく、肥料やトラクター燃料、農薬などに影響がでます。食料生産は低下します。今は食料1キロカロリーを生産するのに、石油を10キロカロリー使っていますから現代の人間は石油を食べているようなものです。

いま世界中で富裕層に富が集まっており、大きな格差社会ができています。石油をベースの経済成長主義は、社会に大きな歪みをもたらしました。日本では年間3万人もの自殺者が出ています、若い人は大学を卒業しても就職できません。地方や一次産業は疲弊し、人々のつながりが希薄となり、心が貧しくなっています。

石油ピーク後はこうした効率優先社会は成り立たなくなりますから、むしろ地産地消型で食料生産にも人手がかかるので、雇用が増えます。風車や小型の水車などは地場産業向き大工さんが造れます。地方で中小企業、産業を育って行くでしょう。そういう視点から見直すと何をすべきか見えてきます。

政治家や大企業のトップ、高級官僚は今の状態を変革しようと思っていない。彼らは今がハッピーで「幸福ピーク」なのです。でもお金持ちでない庶民、とくに若い人は上の人の考えをクールに見ている。政府や企業が煽る、浪費のかけ声に踊りません。直感的に無駄をしてはいけない、無駄の先に未来はないと思っているようです。「もったいない」が分かっているのでしょう。

2008年、リーマンショックの前、トヨタ技術会で、石油ピークについて講演しました。、1000名を超える人が集まりました。その事前打ち合わせで何回か会った若いトヨタ社員は、自分が50~60歳になった時、今のトヨタがこのままでないと直感していました。
一般の国民もクールに見ています。この意味では日本国民の意識は世界の最先端なのかもしれません。石油ピークは文明ピークです、社会の仕組みが大きく変わる、と肌で感じているのかもしれません。

2.石油ピーク、その資源減耗が日本で報じらない、どうしてか
日本は石油ピークの重大さを分かっていません。当たり前のように石油を使っているから、なんとかなるだろうと思っているのでしょうか。石油がどれほど貴重で優れたエネルギー源かが分かっていない、よく言われる喩え、「低く垂れ下がった林檎」はもう取り尽くした、のです。

石油は流体燃料です、内燃機関に欠かせません、プラスチック製品や、農薬、化学肥料、道路のアスファルトなどにもなる多目的資源です。余すところなく全部使える、しかも他の鉱物資源と違って自噴します。石油を「汲み取る」と言うのは大きな間違い、実際は地中から轟音と共に噴き出してくる物質です。このような資源は他にありません。

話題のカナダのオイルサンドは一種の鉱山です。アメリカで有名な、古い頁岩層にわずかに含まれるシェールガスは、水平ボーリンクで水、化学物質を圧入して割れ目をつくり天然ガスと生産しますが、その割れ目の保持に砂粒なども入れます。これは水圧破砕、通常のガス田と違って自噴はしないのです、そしていま環境被害が表面化しています。
そのようのものは非在来型といいますが、それも無限ではないのです。大事に子孫に出来るだけ残しておきたいものです。だから私は先ず脱浪費、もったいない、でと主張するのです。

石油開発で始まった人生、秋田の八橋油田から中東まで
私の専攻は地球物理学、地震や気象、海洋学など、地球を物理的に学ぶ学問です。大学卒業後、帝国石油に入社し秋田の八橋油田の探堀井で見習鉱夫として配属されました。そこで試油テストで櫓が揺れほどの勢いで石油が出るのを体験しました。地球の中にはこんな凄い資源があると感じたました。これは実際に体験しないとわからないでしょう。
その後、石油開発に16年。突然、東大工学部から助教授に招聘されましたが、円満退職に2年かかり、38歳から教育、研究の生活です。
石油開発業界にいた頃、インドネシアに日本が進出しましたが、もう新しく油田を探す場所がほとんど無かったのです。
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石油が噴出するのは、中東でも秋田でも最初は同じように凄いものです。しかし日本の油田は早く減耗しますが中東では何十年も続くのです。これは油層の厚さ広がりのスケールが違う、つまり資源量が全く違うからです。例えばサウジアラビアにあるガワール油田は地球最大で、その背斜構造は幅が30㎞、長さが200㎞もあるのです。
こうした超巨大油田は、中東・ペルシャ湾岸のアラブ首長国連邦、サウジアラビア、クウェート、イラク、イランの5ヶ国だけです。面積にすると中東の7%、地球史上の好条件が重なり超巨大油田群が育ったのです。

中東の超巨大油田、地球の大陸移動と深い関係が
今から約2億年前、一つの超大陸が分離する過程でテチス海という内海が誕生しました。当時、地球は温暖化でCO2の濃度が今の10倍、気温は10度程も高かった。この活発な光合成によって藻類や有機物が大量に生産されテチス海に沈殿され、陸からの土砂が集積し堆積盆地となったのです。有機物が長い年月の温度圧力で石油に熟成しました。油層ですが、その盛り上がりの背斜構造は非浸透性の岩石で密閉されないと漏れてしまいます。このようにして油田には上から天然ガス・原油・水が集積した。この地球上の僥倖ともいえる条件でできたのが、中東の巨大油田ですが、もう老年期にあります。

でも地球は広いからまだ探せば良いと思うかもしれません。しかし油田の候補地である堆積盆地の95%はもうわかっています。人は大きな発見しやすい、エネルギーコストが安い資源から採っていきます。ガワール油田は1948年頃、クウェートのブルガン油田は1930年代、イラクのキルクーク油田は1920年代に発見されています。世界の油田発見ピークは1964年頃、それ以降の発見量は減少の一途です。

石油資源は有限でないと専門家は今も言う、何故か
アメリカのエネルギー情報局のデータによると、2005年5月に世界の原油生産量が頭打ちになっています。一方で消費量は増え続けており、すでに石油ピーク,減耗期に入っています。

その象徴がメキシコ湾で起きたBPの海底油田事故です。海底油田も世界最大規模のペルシャ湾では平均水深が30~40メートルで、そこから2000メートルも掘ればよいのです。メキシコの例と違って、櫓は海底に立ち安定しています。メキシコ湾の場合は水深1600メートルもの海底から、さらに3800~4000メートルも掘っています。掘削リグは浮いており、その場にスクリューで自動的に位置を保ちます。そしてリグから伸びた掘削ドリルパイプ、泥水の循環のための長いライザー部分が、リグの爆発炎上によって海底に折れ曲がって落ち、そこから石油が噴出したのです。

資源の「質」、収支比、EPRを理解すること
今ではエネルギーコストのかかる、条件の悪い油田しか残されていません。石油ピークの前と後ではエネルギーの質が違うのです。それを表す指標がエネルギー収支比:EPR(energy profit ratio)、エネルギーの出力/入力比です。この値が高いほど質が良いのです。

初期の油田のEPRは100もありますが、減衰するとEPR10~20ぐらいに低下します。カナダのオイルサンドではEPRは1・5程度です。
バイオ燃料もEPRは低く、コーンエタノールは1以下、エネルギー収支が赤字です。ブラジルのサトウキビだと1以上でしょうが、文明を支えるには最低限EPR10は必要です。

分かりやすい譬えに「ラビット・リミット」があります。インディアンが1のエネルギーを使って、1の食料エネルギーのウサギを捕まえれば、入出力は一緒、EPR1となり生きられます。でも妻を養っていれば2人分、EPRは2、4人家族ならばEPRは4が必要。社会は食料を生産しないメディア、法律家、学者、政治家など大勢ですから、文明社会を支えるには、EPR10は必要となります。余剰エネルギーが文明の維持には必要なのです。

3.太陽、風力など、自然エネルギーは石油代替となり得るか
太陽光発電のEPRはかなり良いケースでも5ぐらい。そして夜、曇りは発電しませんから、今の文明を支えられません。簡単に自然エネルギーで100%とはならないのです。エネルギーミックスがこれからの大きな課題です。

濃縮が資源の必要条件、それが「自然の恵み」ということ
太陽エネルギーは、人間が1年間に使う量の1万倍と専門家も繰り返しますが、いくら量があっても希薄で拡散しているものを濃縮するのにエネルギーが必要です、資源とは自然が濃縮してくれた恵みなのです。

先日NHKで、産油国のアブダビが太陽エネルギーを使って10万人都市を造ると放映していました。しかし夜は太陽は照りません。そして砂漠は年中風が吹いており、砂嵐がきたらフロントガラスが磨りガラスになるような所です。砂漠で太陽発電都市といっても簡単ではないのです。

また水素エネルギーというのも問題です。まず水素は何かの一次エネルギー資源から作れなければならない二次エネルギーです。自然界に水素資源などないのです。メタンを原料として水素は作れますが、メタンそのものが有限資源です。原発で水を電気分解するにしてももロスはあります、そのEPRも気になります。

海水ウランも量は大きいでしょうが、濃縮されていません、集めるのにまたエネルギーが要りますが、原子力関係者に今も海水ウランをと言う人が後を絶ちません。

繰り返しますが、メタンハイドレートは日本の未来の天然ガス資源として喧伝されます。日本近海でボーリング調査などに毎年かなりの税が投入されますが、ガスが自噴するわけでない投入エネルギーがもったいないです。

瓦解した原発安全神話、原子力をどう見る
私は原発絶対反対論者ではありません。原子力関係者は、原子力発電は絶対に安全だと言い続けてきました。その神話に皆、洗脳されてしまった。

聖書の言葉に「耳ある者は聞くべし」。人には耳がない。人は聞きたいことしか聞かないということです。「学者らに心せよ」とも言っています。学者はわかったつもり、本当は知らない。だから学者に注意しなさいと。

原子力発電、温暖化防止、それを推進する専門家、自分で自分を刷り込んでいく。だから福島のようなことが起こる。そこで、私が言いたいのは、正論は繰り返し言い続ける必要があるということです。繰り返し、繰り返し、耳なき人に語り続けねばなりません

日本では電力の30%を原子力発電が占めますが、トータルの一次エネルギーでは10%くらい。つまり原子力発電で全エネルギーを賄うには今の10倍が必要です。それにウラン鉱山の採掘、発電所の建設、輸送、廃棄物処理など全てに石油のインフラが必要です。この点では太陽電池などと同じです。

クリーンといわれる燃料電池のリチウムも有限、リチウム産地のチリでは、採掘によって激甚の環境破壊が起こっています。こうしたマイナス面が日本では全く報道されません。また石炭も当然有限資源ですから、いずれピークを迎えます。

結論を言えば、石油に替わる優れた資源はもうないのです。そして3・11です。日本の原子力神話が瓦解、原発災害は直接、間接に日本中を揺るがしています。その放射能被害は時空間的に計り知れないレベル、何十年と続くのです。

4.地球温暖化研究の最近の成果、CO2削減をどう見る
温暖化は人類最大の危機と思っている人が、今でも大勢です。メディアは2100年には海水面が何mも上昇する、農業も大打撃、森林の生態系変化、北極では白熊が絶滅する、などと危機を煽りますが、最近の冷静な科学研究によると、地球は今むしろ寒冷化しているというのです。
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(ASPOによる、CNNで報道される)
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このような事実を温暖化懐疑論と決め付けないで、多様な見解があると国民にそのままお知らせすべきでしょう。それが科学的と思います。IPCCの盲従もそろそろ終わりにしないと、国際的な力学に翻弄されます。いまでは排出権取引で日本は損するばかり、原発の放射能汚染のほうが遙かに重大です。

温暖化対策をエネルギー問題として考える
温暖化はエネルギー問題そのものです。でも多くの人はそう思っていません。温暖化についての自然科学的な事実も、正しく伝わっていません。氷河が融ける,白熊が可愛そう、南極半島が今では植物の生えるツンドラ地帯のようになった、21世紀末には何mも海水面が上昇するなどと、脅威は増幅されます。

私は1993年ころ、サウジアラビア、ドバイ、アブダビに行き、アブダビ石油公社(ADNOC)の総裁にも会ったことがあります。大きな総裁室で、窓の外を見れば陽光に照らされる黄色っぽく輝くペルシャ湾が見えました。黄色は、ペルシャ湾は浅いからです。

当初は5分ぐらいの表敬訪問の予定でした。型どおりの挨拶のあと、ちょうど地球温暖化が話題になっていた頃だったので、私はグリーンランドの氷について質問しました。彼は当然氷が溶けて薄くなっていると思っている。私は逆に内陸部では厚くなっていると話しました。「この100年で地球は0・6~0・7度ぐらい温かくなり、水の蒸発量が増えた。しかし年間平均気温がマイナスのところでは、降るのは雨ではなく雪。それが積もって氷となるので、氷がむしろ厚くなっているのだ」、と。

総裁は身を乗り出し、温暖化とエネルギー問題について次々質問。気づいたら1時間以上が経っていました。後で日本大使館の全権大使に「日本人が石油公社の総裁室で、そんなに話し込んだのは初めて」と言われました。そのぐらい珍しいことだった。
当時日本が石油を一番輸入していたのはアブダビで、日本の財界のトップなども訪れていました。しかしビジネスが殆どで、興味を惹く話をする人はおらず、つきあいも薄いものだったようです。一方、ヨーロッパと中東は文化・歴史を含めた長い付き合いがあります。

欧米の国々は、中東の石油埋蔵量に関するデータを豊富に持っている。石油が減耗すれば、温暖化の気温上昇はIPCCの予測を下回ります。彼らはオイル・ピークが分かっての確信犯なのかもしれません。

国際的情報は客観的とは限らない、誇張される石油埋蔵量
国際機関、組織が公に流す「情報」は、元々かなり政治的です。IPCCが基礎とするOPECの公式的な埋蔵量などは、二次、三次的な情報です。地質的なファーストハンド、つまり一次情報以外は情報とは言えません。

1980年代、中東の石油埋蔵量を政府が公表する数字が一挙に増えたことがあった、それは石油生産の枠が埋蔵量に準拠したからで、それぞれの中東産油国が勝手に増やしたに過ぎなかったのです。それでも政府発表ですから、嘘とはいえない。それを集計するのが国際機関ですから、それを政治的な数字と理解するのが常識、それが国際政治です。ですが日本はそこから発想する、大学の先生方も情報不足、そして深くは考えません。

私は1997年のCOP3の時、国立環境研究所の所長として京都会議に参加しました。それは国益がぶつかりあう場所でした。IPCCだけに頼って議論していては戦略的に危ないと感じました。日本は排出権取引などで、世界からお金を取られるだけ、それでは駄目です。長年の欧米追従の癖が抜けない日本の識者です、国際的にとても幼いのです。IPCCの御用学者のようでは、強かなか人々には牛耳られてしまいます、よほど注意しないと。
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by tikyuu_2006 | 2012-01-15 21:12 | これからの日本

[津浪と人間] 寺田寅彦 1933年

 昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙
なぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。
 
 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
 
 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。

 学者の立場からは通例次のように云われるらしい。「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」
 
 しかしまた、罹災者りさいしゃの側に云わせれば、また次のような申し分がある。「それほど分かっている事なら、何故津浪の前に間に合うように警告を与えてくれないのか。正確な時日に予報出来ないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう云ってくれてもいいではないか、今まで黙っていて、災害のあった後に急にそんなことを云うのはひどい。」
 すると、学者の方では「それはもう十年も二十年も前にとうに警告を与えてあるのに、それに注意しないからいけない」という。するとまた、罹災民は「二十年も前のことなどこのせち辛い世の中でとても覚えてはいられない」という。これはどちらの云い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである。

 災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。

 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。

 津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである。

 これが、二年、三年、あるいは五年に一回はきっと十数メートルの高波が襲って来るのであったら、津浪はもう天変でも地異でもなくなるであろう。

 風雪というものを知らない国があったとする、年中気温が摂氏二十五度を下がる事がなかったとする。それがおおよそ百年に一遍くらいちょっとした吹雪ふぶきがあったとすると、それはその国には非常な天災であって、この災害はおそらく我邦の津浪に劣らぬものとなるであろう。何故かと云えば、風のない国の家屋は大抵少しの風にも吹き飛ばされるように出来ているであろうし、冬の用意のない国の人は、雪が降れば凍こごえるに相違ないからである。それほど極端な場合を考えなくてもよい。いわゆる颱風たいふうなるものが三十年五十年、すなわち日本家屋の保存期限と同じ程度の年数をへだてて襲来するのだったら結果は同様であろう。

 夜というものが二十四時間ごとに繰返されるからよいが、約五十年に一度、しかも不定期に突然に夜が廻り合せてくるのであったら、その時に如何なる事柄が起るであろうか。おそらく名状の出来ない混乱が生じるであろう。そうしてやはり人命財産の著しい損失が起らないとは限らない。

 さて、個人が頼りにならないとすれば、政府の法令によって永久的の対策を設けることは出来ないものかと考えてみる。ところが、国は永続しても政府の役人は百年の後には必ず入れ代わっている。役人が代わる間には法令も時々は代わる恐れがある。その法令が、無事な一万何千日間の生活に甚だ不便なものである場合は猶更なおさらそうである。政党内閣などというものの世の中だと猶更そうである。

 災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい処に立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われる度にあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山蔭の竹藪の中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎やえむぐらに埋もれた頃に、時分はよしと次の津浪がそろそろ準備されるであろう。

 昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。それは実際いくらか考えばえがする世の中であったからかもしれない。それでこそ例えば津浪を戒める碑を建てておいても相当な利き目があったのであるが、これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細いような気がする。二千年来伝わった日本人の魂でさえも、打砕いて夷狄いてきの犬に喰わせようという人も少なくない世の中である。一代前の云い置きなどを歯牙しがにかける人はありそうもない。

 しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟ひっきょう「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
 それだからこそ、二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。

 こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

 科学が今日のように発達したのは過去の伝統の基礎の上に時代時代の経験を丹念に克明に築き上げた結果である。それだからこそ、颱風が吹いても地震が揺ゆすってもびくとも動かぬ殿堂が出来たのである。二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して他所よそから借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ないものである。それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って脚下の安全なものを棄てようとする、それと同じ心理が、正しく地震や津浪の災害を招致する、というよりはむしろ、地震や津浪から災害を製造する原動力になるのである。

 津浪の恐れのあるのは三陸沿岸だけとは限らない、寛永安政の場合のように、太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかはまた繰返されるであろう。その時にはまた日本の多くの大都市が大規模な地震の活動によって将棋倒しに倒される「非常時」が到来するはずである。それはいつだかは分からないが、来ることは来るというだけは確かである。今からその時に備えるのが、何よりも肝要である。それだから、今度の三陸の津浪は、日本全国民にとっても人ごとではないのである。

 しかし、少数の学者や自分のような苦労症の人間がいくら骨を折って警告を与えてみたところで、国民一般も政府の当局者も決して問題にはしない、というのが、一つの事実であり、これが人間界の自然方則であるように見える。自然の方則は人間の力では枉まげられない。この点では人間も昆虫も全く同じ境界きょうがいにある。それで吾々も昆虫と同様明日の事など心配せずに、その日その日を享楽して行って、一朝天災に襲われれば綺麗にあきらめる。そうして滅亡するか復興するかはただその時の偶然の運命に任せるということにする外はないという棄すて鉢ばちの哲学も可能である。

 しかし、昆虫はおそらく明日に関する知識はもっていないであろうと思われるのに、人間の科学は人間に未来の知識を授ける。この点はたしかに人間と昆虫とでちがうようである。それで日本国民のこれら災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろうと思われる。この水準を高めるには何よりも先ず、普通教育で、もっと立入った地震津浪の知識を授ける必要がある。英独仏などの科学国の普通教育の教材にはそんなものはないと云う人があるかもしれないが、それは彼地には大地震大津浪が稀なためである。

 熱帯の住民が裸体はだかで暮しているからと云って寒い国の人がその真似をする謂いわれはないのである。それで日本のような、世界的に有名な地震国の小学校では少なくも毎年一回ずつ一時間や二時間くらい地震津浪に関する特別講演があっても決して不思議はないであろうと思われる。地震津浪の災害を予防するのはやはり学校で教える「愛国」の精神の具体的な発現方法の中でも最も手近で最も有効なものの一つであろうと思われるのである。

 (追記) 三陸災害地を視察して帰った人の話を聞いた。ある地方では明治二十九年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋さびれてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津浪の到着するまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津浪に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである。
(昭和八年五月『鉄塔』)

初出:「鉄塔」1933(昭和8)年5月1日 ※初出時の署名は「尾野倶郎」。※単行本「蒸発皿」に収録。
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店 1997(平成9)年6月5日発行、底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店1985(昭和60)年

本随筆を参照したネット人気記事です:http://www.alterna.co.jp/7897
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by tikyuu_2006 | 2012-01-15 21:04 | これからの日本