私は戦争・原爆の非人道性を忘れない:弟の死骸を背負い、焼き場で待つ少年

先ずこの写真から、
「日本人が知らないニッポン」 -隠されてきた歴史から読み解く世界の成り立ち-
http://www.thinker-japan.com/thinkwar.html
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長崎原爆、戦慄の写真です。マネーが全ての現代日本人、この少年の思いを想像出来ますか? 以前NHKTV 「解かれた封印」、写真が語る20世紀…目撃者 2007年8月18日亡くなった元米軍カメラマン、J. オダネルによる、長崎原爆の直後を語る、戦慄の文と写真です。
当時私は開成中学(現開成学園)一年生、見渡す限り焼夷弾の突き刺さった焼け野原、空襲に怯える毎日でした。

オダネル:佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。…10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。…しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。しかも彼は裸足です。少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。…少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
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2007年8月18日亡くなったジョー・オダネル(Joe O'Donnell)<占領軍として原爆投下後の長崎に入り、その破壊力を 記録するため写真を撮影する一方で、軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ300 枚の 写真を記録した。帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを 自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印してしまう。しかし晩年になって 原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発に踏み切っていく。 だが、原爆投下を信じる周囲から 非難の声を浴びながら、85歳の生涯を閉じた、とのことです。

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そして1945年、広島原爆投下の朝日新聞記事、8月8日付です。この一面を私は今でも記憶しています。
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下記は、長崎原爆投下後の浦上天主堂周辺です。
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(2012年8月12日 石井吉徳記)

この少年の写真は、J. オダネルにより、「トランクの中の日本人-米従軍カメラマンの非公式記録」1955年小学館に含まれています。そのタイトル、「少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた」とあります。(2013年8月7日記)
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by tikyuu_2006 | 2012-08-02 17:21 | 新しい文明の構想
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