あるIPCC擁護論:日経新聞の温暖化科学論は、本当に科学的か?

日経新聞のコラム「中外時評」7月20日(日)、「反論まで周回遅れー温暖化巡る日本社会の不思議」は、IPCCの徹底した擁護論であった。だが本当にこれでよいのか? その長いコラムは、次のような激烈なIPCC擁護から始まる、論説委員塩谷喜雄とあった。

科学的には決着している地球の温暖化について、ここに来て「温暖化と二酸化炭素の排出は無関係」と言った異論・反論が一部の雑誌メディアを騒がせている。温暖化ガスの排出削減を決めた京都議定書についても、日本に不利な不平等条約だという観念的な恨み節が妙に声高になってきた。十年前に逆戻りしたような、このアンチ温暖化論の高まりは、いつまで続くのか。・・・・・・四半世紀の間、世界の科学者を集め、情報を積み重ねて気候モデルによる解析を続けてきた「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、昨年第四次報告書で人為的な温暖化の進行を「断言」した。これまで慎重に科学的な姿勢を貫き、断言を避けてきた組織が、ついに結論を世界に示してのだ。・・・・・IPCCはついに「断言」という伝家の宝刀を抜いた。 以下略

人間にとって自然は永遠の謎、コンピュータモデル化された気候モデルも、その時点で人間が理解した地球、自然でしかないのである。しかもそのモデルに入力するデータも人間が用意する。日本で絶対視されるIPCCの主張もこのような意味において、科学合理性で判断すべきであり、それに使うエネルギーモデルも正しく評価しておく必要がある。
あまり知られていないが、IPCCが使うエネルギーモデルは、IIASA、ヨーロッパに冷戦時代にできたInternational Institute for Applied Systems Analysisによる。 地球温暖化論議はこのIIASAモデルから始めるべきだが、妙なことに日本ではそれが話題にすらならない。

つまり日経新聞のコラム冒頭の断言論は科学妥当性を欠く。なぜなら温暖化問題は科学的に決着などしていないからである。科学は「真に科学的」に議論されるべきである。洞爺湖サミットで日本は「国損的」コミットをしなかった、その意味でまあ「成功だった」と言うべきか、10年をへて、日本は少し大人になったのであろう。

それでも納得されない方へ、温暖化より怖いことがある、それは、限りある地球での「食料とエネルギーの欠乏」である。そしてこの二つは表裏一体、別のことではない。
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by tikyuu_2006 | 2008-07-27 00:11 | これからの日本
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