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現代文明を疑おう

現代文明を疑おう(その1)(ひろばユニオン2006:3連載)

近づく「地球の限界」--成長主義の暗い影
石井吉徳: 東京大学名誉教授、富山国際大学教授(当時)

豊かさの陰に破壊あり
地球は有限です。人類は物的な無限の成長はできないのです。なぜなら、それを支える地球の資源、森、水、石炭、石油などはすべて有限だからです。一方、世界の人口はすでに64億人(当時)を超え、まだ増え続けます。社会の大量生産も、とどまるところを知りません。廃棄物、ごみは増えるばかりです。

それを循環、リサイクルで何とかしようとなりますが、これにも膨大なエネルギー、今の主力の石油が使われます。現代文明は地球の過去の遺産で存続していることになるのですが、最近、この頼りの石油に陰りが見えてきたようです。しかし、これを認める人は少ないのです。

現代工業社会は指数関数的成長を当たり前と思うようです。その成長主義の頂点にアメリカがいますが、この国の浪費は世界からの借金でまかなわれます。そのお金は日本などが出しています。この世界人口の5%のアメリカが、エネルギーの25%を使うのです。

そして市場主義、アメリカンスタンダードをグローバリゼーションとして世界に普及させます。このマネー原理主義によって、アメリカ国内はもちろん、世界に貧富の格差を作ります。いま世界で紛争が激化しています。世界の何かが変わりつつあると思わねばならないのです。地球の限界に当面しているのでしょう。しかし、科学技術が進歩すれば、市場に任せればと言う人が大勢ですが、本当にそうでしょうか。

人類の歴史、文明史は、「森を失った文明」が滅ぶことを教えていますが、人類はそれを教訓とすることができないようです。昔も今も人類は森を大事にしませんでした。 写真は、世界遺産に指定され、辛うじて生き残ったレバノン杉、数千年の遺影です。以前、深い杉に覆われていたレバノンも、今はこのような林が所々に残るだけです。

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かろうじて残る、樹齢数千年のレバノン杉(1996年、撮影・川村徒最子)

このようにして、人間の森林破壊は今も続きます。最後の熱帯林といわれるアマゾンの森も、アメリカのハンバーガー用の牛の放牧ため伐採されますから、アメリカ人はアマゾンの森を食べているといえます。そして今では、世界の森は半減してしまいました。

タイの沿岸では広大なマングローブ林が伐採され、エビが養殖池で育てられます。しかし過養殖、過度の化学物質の投入などで池は数年で駄目になるそうで、次々とマングローブ林は破壊されていきます。エビは日本が最大のお得意さんとのことですから、日本人はタイのマングローブを食べているといえるのです。また、環境に優しいとされるヤシ油は、マレーシアの熱帯林を破壊して生産されます。これも大きな矛盾です。

石油が消える?
現代は石油文明と言われます。この常温で流体の石油が、車社会、ひいては現代の大量生産社会を可能としました。この意味で石油は「社会の生血」なのです。ところが最近は、大油田があまり発見されなくなりました。市場原理も技術の進歩も、地球の限界には勝てないからです。今はかつての石油発見のストックを食いつぶして、人類は現代の発展を維持しているといえます。

発見のピークは今から40年も前のことでした。生産は増える一方ですから、かなり早い時期、例えば2010年前にも石油生産は減退期に入ると警告する人が増えてきました。そうかもしれないのです。需要に生産が追いつかなくなるのですが、これを「石油ピーク」と彼らは呼んでいます。早晩「高く乏しい石油時代が来る」ことでしょう。

「石油ピーク」の影響は、まず車、船、航空機などの運輸システムに現れるでしょう。これはグローバリゼーション、国際物流のあり方を一変させ、そして国際企業の仕組みを激変させるかもしれません。原油の価格の高騰から船賃はすでに高騰し、航空運賃も上昇しました。

これはグローバリゼーションの逆、すなわち集中から分散、地産地消(地域で生産されたものを地域で消費すること)の時代の到来を暗示するようです。人類生存の原点は言うまでもなく食料ですが、今の日本は世界中から食料を輸入します。自給率は40%と世界でも最低水準です。野菜ですら日本で作らないのです。この農業も石油から作る化学合成物質なしには存続しません。石油が滞ったら日本はどうなるのでしょうか。

「沈黙の春」はそこに
私は60年ほど前、富山市の郊外で育っています。子供の頃、夏には蛍が、秋にはうるさいほど赤トンボが飛び、田圃にはタニシ、ヒルなどが沢山いたものです。小川のくぼみに手を入れると、フナが跳ね、メダカも沢山いました。それから半世紀余、今は富山市郊外の大学にいます。田園風景は広々と豊かに見え、遠方には立山連峰が望めます。大学のキャンパスには時折、日本カモシカが来るほどです(写真)。

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筆者が教鞭をとる富山国際大学キャンパスに現れた日本カモシカ(2002年、撮影・上坂博亨)

ですがある時、妙なことに気づきました。田園が静か過ぎるのです。車以外の音がほとんど聞こえない。動くものがいない。鳥もいない。蝶が飛ばない。蚊すらほとんどいない。子供の頃、うるさいほどいた赤トンボもあまり見かけません。そして空には「トンビが飛ばない」ことに気づきました。
「トンビが飛ばない」ということは、食物連鎖の頂点のトンビの餌になる小動物がいないということです。小動物がいないということは、彼らが食べるミミズ、虫などがいないということです。

この発見は私にとって衝撃的でした。考えられる理由はただ一つ、水田に撒かれる農薬、合成化学物質が自然生態系を破壊したということです。
「沈黙の春」(R・カーソン、1962年)が目の前にあったのです。「春になっても小鳥がさえずらない」のは過去のことではなかったのです。石油から作る農薬による土壌破壊です。そして農業機械も石油で動きます。

見直す必要があるのではないでしょうか。これについては後で詳しく述べますが、これからは「自然と共に生きる」「集中から分散」がキーワードとなるでしょう。そして「科学技術で自然を改変、制御する時代」から、「自然と共存する知恵を育てる時代」となるのではないでしょうか。地球が危ないのではなく、いま危ないのは人間なのです。

現代文明は人を本当に幸せにしたでしょうか。内閣府統計によれば「物より心の豊かさを」と願う人が60%に達しています。物余りの中、人間の心はますます貧しくなったからでしょう。GDPで計る経済は、地球の有限性を考慮しないのです。これからは効率を最優先する社会から、知恵を、「物より価値を重視する文明」へと転換すべきではないでしょうか。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/hirobaunion/hirobaunion_1.htm
以下次号
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現代文明を疑おう(その2)

大量生産の後始末ーリサイクルの盲点 
分別すればいいのか
地球から資源を大量に収奪し、短サイクルで大量廃棄する――この浪費型の大量消費社会が行き詰っている。自然も、人類の浪費の結果である大量の廃棄物を処理しきれない。美しかった国土にゴミは溜まるばかり。そこでリサイクルを、環境技術を、となる。一見良さそうだが、本当にそうなのだろうか。これが今回の主題である。

国、地方自治体も、そして民間機関なども懸命だが、一向にゴミは減らない。廃棄物は溜まるばかり。規制すれば不法投棄、垂れ流しとなる。本当に困ったことだが、モラルだけの問題ではないのかも知れない。今のリサイクルは社会システムとして基本的な矛盾、問題があるからかも知れない。地球規模問題としての温暖化対策について言えば、これは現代工業化社会が出す気体のゴミである。これも一向に減らない。そこで技術の出番となる。二酸化炭素を海洋、地中に隔離する考えであり、一見良さそうだ。

が、少し考えると分かるが、これとてゴミを自然環境に捨てることに変わりはない。自然に対する無断の不法投棄の類かもしれない。しかもエネルギー使用量は確実に増える。部分の正義は、全体の正義とは限らない。また、「分別すればゴミも資源」も、本来ゴミとは様々な物質が混ざり合い、分散、劣化したものと考えると、それを「完全分別」することには疑問が生ずる。大きな労力、社会的負担を要するからである。一方、鉄くず、古新聞などは昔から再利用されている。社会的にも定着している。その理由は簡単であり、かつ本質的である。「質」がよく、資源として濃縮されているからである。資源とは何かの問題であり、リサイクルの本質がここにある。 

リサイクルを科学する
物とエネルギーの分散、拡散、劣化を扱う科学がある。熱力学と言い、その第二法則が特に重要である。エントロピーの法則ともいう。これを理解すると、ゴミ問題の本質が見えてくる。できるだけ簡単に説明するので、しばらくご辛抱願いたい。

一般論から始める。自然現象は常に拡散、平均化に向かうもので、それを熱力学ではエントロピーが増大すると言う。その逆、エントロピーが減少するときはそこにエネルギーの投入があると教える。一滴の赤インクを水に落としたとする。赤色は自然に拡散する、しかしその逆は絶対に起こらない。このことは経験が教えるが、これがエントロピー則、別に難しくはない。極めて単純なこと、だが最も本質的である。これを更に普遍させれば「自然は起こりやすい方向に進む」となり、その一方向性は絶対である。

これを人の社会に適用すると、ゴミを捨てる人は多いが、集める人は少ないとなる。それは捨てる方が容易だからであり、その方が確率が高いからと言える。だが、散らばった物を集めるには労力が要る。大変である。この労力とはエネルギーのことである。工業化社会も同様に、質の良い資源を使って人工物を作り、最後に捨てるが、これは拡散、混然の過程である、このときエントロピーは増大する。これを上流から下流への流れと説明すると分かりやすい。そしてこの逆、つまりリサイクルには、必ずエネルギーが要ることになる。

要するに、リサイクルは本質的にエネルギー問題なのである。ここでの教訓は、ゴミ問題はまず「上流での減量」が最大のポイントということである。リサイクルは、膨張願望の大量生産型社会の後始末を、下流だけ行おうとする考えである。だから難しいのである。ゴミ問題は物流の原点、上流を減らすのが最も効果的である。化学物質による公害は汚染源の除去が鉄則であるのと、理念は全く同じである。

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現代の工業化社会(石井吉徳、2002年)

分別すれば資源、車のシュレッダーダストでの資源化、廃プラスチックの液体燃料化など、論理を再構築すべきことが少なくない。特にエネルギー技術においては、エネルギー収支(EPR=Energy Profit Ratio)で評価しないとかえってエネルギーを失うことになる。今更ながら循環型社会の構築には「真の科学」が必要なのである。

循環型社会形成推進基本法では、①発生抑制(Reduce)、 ②再利用(Reuse)、③再生利用(Recycle)の3Rが、この順に大切とされている。最初のR(Reduce)、すなわち減量が最も大切である。これは上流が最重要ということである。すぐ廃棄されるようなものを作らない、市民がそのようなものを買わないことである。そして成長の質を問うのである。市場競争原理主義、科学技術万能主義を断ち切るのである。そして市民が制御する、市民のためのコミュニティ社会を構築し、自然と共存する分散型社会を模索するのである。

20世紀型の都市への集中、工業化は、豊富で安い石油あってのものである。そして「常温で流体の石油」が内燃機関を可能としたことも忘れてはならない。前号で述べたように「石油ピーク」は、グローバルな輸送、物の運搬を変えるであろう。物流には海外で作る「見えない物流」もある。通常の「見える物流」と合わせて、日本の総物流は年間57億トンに上る。これら2種をすべてリサイクルしないと論理は整合しない。本文での廃棄物とは、産業廃棄物4億トン、一般廃棄物5千万トン、プラスチック類1千万トンなど。57億トンのほんの一部だが、それでも大いにてこずっている。

「もったいない」の実践を
そこで結論。現代のGDP成長至上主義、商品の短サイクル浪費願望をそのままに、循環型社会を望むのは元来、間違っている、上流の奔流をそのままに、下流だけではリサイクル社会は完結しない。無理な注文である。

日本には「もったいない」という奥ゆかしい言葉がある。浪費なければ成長なしという発想はもう止めよう。Think Globally,Act Locally である。できることは目の前にいくらでもある。例えば、
 
 ・まず減量(Reduce)、再利用、そしてリサイクル。
 ・丈夫なものを選ぶ。買うより修理、捨てない。
 ・石油漬け農業を転換し、有機農業、地産地消、里山を生かす立体農業を。
 ・地域の物々交換、中古品を融通しあう。物を大事に。
 ・買い物袋持参、過剰包装商品は買わない。目方を量って生鮮食料などを買う。
 ・食料、野菜など見た目で買わない。曲がったきゅうりは美味しい。
 ・ペットボトルより水道の水、自動販売機は止める。要らない物を買わない。
 ・車に乗らずに歩く。自転車に乗る。電車、バスなど公共的な乗り物を利用する。


などなど、いくらでも続けられる。皆さんで考え実行すれば政治、社会を変えられる。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/hirobaunion/hirobaunion_2.htm
以下次号
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現代文明を疑おう(その3)

GDPの矛盾-脱・成長主義へ知恵を
石油依存社会の危うさ
豊かな石油が支えた20世紀型・効率優先の成長至上主義、マネーがすべての市場主義では人類は持続できない。有限の地球に無限はないからである。 この単純なことに経済学は何も答えられない。技術至上主義も同様である、科学技術が進歩すれば大丈夫と楽観し、エネルギーさえ作り出せる、と思うようである。

地球は有限。成長至上主義では人類は持続できない
近年の21世紀は水素エネルギー源で、などはその典型だが、それは一次、二次エネルギーの区別もできないからである。水素は何か別の一次エネルギー源から作る必要がある。最近では石油の「無機起源説」すら現れた。無限に石油はある、というのである。昔からの「原子力は無限」という話は今も繰り返される。技術万能思想の矛盾である。

このようなバーチャルの論議はむなしいが、現実の世界は厳しい。文明は現実のエネルギーでしか動かない。20世紀型の石油文明において石油減耗は現実のリスクである。石油発見量は64年をピークとして減退の一途、今では生産の4分の1程度でしかない。エネルギー専門家は「オイルサンド、オイルシェール(超重質の炭化水素)がある。心配ない」というが、これは量のみの議論、エネルギーの質が考慮されていないのである。前号で述べたEPR(Energy Profit Ratio=エネルギー収支)が考慮されていない。

思考停止の日本。近づく石油減耗時代をどう生きるのだろうか。巷では「地球が危ない」という言葉があるが、これは人類の傲慢さの現れであろう。いま危ないのは人類の方である。ではどうするか。一般市民に今からでもできることは多い。社会の至る所に蔓延する浪費、無駄を自分で止めることはできる。そうすればその効果に驚かれよう。

世界の森はすでに半減した。水不足も深刻である。河川などの地表水を補うため地下水が大量に使われているが、アメリカの中南部の穀倉地帯のオガララ帯水層の水位低下は顕著である。穀物一トン作るのに水が千トン要る。穀物の輸入は水の輸入なのである。しかもその穀物を家畜に食べさせる肉食の拡大。もったいない。光合成の恵みの無駄遣いである。

現代農業には、農薬、肥料の合成、農耕機械燃料として石油が大量に使われている。石油の生産が減退し、「高く乏しい石油」となる「石油ピーク」。石油ピークは「食料ピーク」なのである。地球の水産資源も無限ではない。漁獲量もピークを過ぎたようである。大量の魚が養殖され、抗生剤すら投与される。どこかおかしい。これも石油依存の営みである。

石油減耗時代の参考になる見本が2つある。旧ソ連からの石油支援が途絶えて飢えた北朝鮮と、有機農法、自然に回帰し、飢えなかったキューバである。脱石油戦略は自然との共存が要であるが、日本の地勢を生かす生存の知恵が課題である。

石油は重要な合成化学の原料である。氾濫するプラスチックなしに現代社会は成り立たない。石油は「文明の生き血」であり、石油ピークは「文明ピーク」なのである。

心を蝕む「成長主義」
経済はGDPで計る。その無限成長が当然視されているが、これは地球の有限性と調和しない。GDP成長によって環境破壊が起きたとする。それを修復すればまたGDPが成長する。GDPは年率何%で表現するが、これは指数関数的増大を意味する。本当にこれで良いのだろうか。

効率優先の成長主義はマネー主義となり、マネーは人心を蝕むようである。企業モラルの低下、マネーゲームの氾濫は目を覆うばかり。真面目に働く人々が報われない。市場主義は強者必勝、勝者がすべてを獲る仕組みである。これで良いのか。成長がすべての現代社会だが、石油ピークはその見直しを求めている。今のままでは人類は持続できそうにないからである。これは文明が変わるレベルのことであり、大変な難問である。だが考える道筋、優先順位はそれほど難しくない。

まず、あらゆる機会を捉えて石油を確保する。石油ピークは「枯渇」のことではないからである。私が「石油減耗」と言う真意はここにある。同時に石炭、原子力など、在来型のエネルギーインフラも徹底的に見直す。なぜならこれらは豊富な石油を前提としているからである。 「石油は常温で流体である」ことを忘れてはならない。20世紀型の工業化文明は車の大量生産から始まっている。したがって石油減耗の影響は、まず運輸システムに現れよう。当然、低運賃を前提とするグローバリゼーションは大打撃を受けるが、これは食料の大半、原料のほとんどを海外に依存する日本にとって一大事である。

▲ブッシュ米大統領は1月の一般教書演説の中で「石油依存からの脱却」を表明。
 
「第3の経済学」を
これからは、真の国際競争力とは何かが問われよう。大きいことは良いこと、経済大国などという価値観は時代遅れとなるかもしれない。 自然エネルギーは大切だが、その本質が分散的と考え、むやみに大型、ハイテクを望まず、日本の地勢、自然に合った工夫をする。分散社会にどのように自然エネルギーを取り込むか、である。その判断にはEPRが不可欠、エネルギー収支を考える習慣をつけたい。そして地域分散、自然農業、地産地消を考えていく。新しい雇用も生むはずである。

地球の限界を認識する、資本主義でもマルクス経済学でもない「第三の経済学」、ニコラス・ジョージェスク=レーゲンがいう、エントロピー論(熱力学の第二法則)に基礎をおく経済学が必要である。そして日本の奥ゆかしい言葉「もったいない」を思い起こそう。

昨年、小泉首相は「脱石油戦略を」と述べ、今年1月の施政方針では「もったいない」を強調した。そして「むすび」の言葉は「志」であった。ブッシュ米大統領も、先の一般教書で「脱石油依存症」を宣言し、現在捨てられている植物繊維などから――食べられるトウモロコシやサトウキビでなく――エタノールを作る研究に資金を投ずる、と述べた。我々の数年に及ぶキャンペーンが、ようやく実を結びつつある。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/hirobaunion/hirobaunion_3.htm
以上で連載を終えるが、まだまだ説明不足。私のホームページをぜひご参照頂きたい
http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/
以上で連載完結(ひろばユニオン:2006)
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by tikyuu_2006 | 2014-07-24 17:49 | 新しい文明の構想
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